スウィート☆ランチ





       明理(あかり)にとって昼休みは甘い時間だ。昼ごはんのお供がいつも甘いジュースなのだ。
 貴重なリフレッシュタイムなはずが、近頃困った時間にもなっていた。



「本当にさあ、明理は瑞貴(みずき)君と何もないの?」
 深夏(みか)は疑う眼を絶えず送ってくる。一つに結った肩までの髪を揺らし、普段は歪みのない眉毛の先端を深くして。
 明理はしつこく聞いてくる友人に、肩をおとす。
「だーかーらー!何もないって。…どうすれば納得するのよ、深夏は」
 最後のおかずを食べ終え、口直しにジュースを飲む。甘いオレンジが口一杯に広がる。最近はオレンジジュースにはまっている。パッケージにオレンジに大きな目がつき、手足がにょきっと飛び出たキャラクターが描かれたものがお気に入りだった。
 そろそろ他のものに手をだそうかと考えていたら、本当のことを言ったら納得するーという声が返ってきた。
 諦めの悪い友人である。





 昔の話をしよう。深夏が諦めないので始めから話すことにする。
 瑞貴(みずき)と明理は、親同士が親しく付き合っているという間柄だ。そのため、事あるごとに二つの家族は遊びに出かけたり、食事をしたりとしていた。
 とはいえ、明理に瑞貴と遊んだ記憶はあまりない。彼の妹との方と仲が良く、瑞貴も明理の姉と仲が良かったのだ。明理は活発で外で遊び回ることを好み、妹もしかり。瑞貴は中で大人しくしていることを好み、姉もそうだった。家族間で一緒にいることがあっても、自然と遊ぶ相手が決まっていたのだ。
そういうわけで、明理は瑞貴のことをよく知らなかった。小中学校は別々だったし、高校で同じになったとしても、なかなか会うこともない。あるとしても軽い挨拶を交わす程度だ。
 それなのに、深夏は聞いてくる。家族間の関わりがそんなに疑わしき事柄になるのか、明理は不思議でならない。

「だっておかしい。あんなできた人が身近にいて何も思わないなんて!」
 説明してもさらに疑う深夏に辟易した。
「理由になってないって…」
 明理は弁当箱を片づけ、残りのジュースを飲みほした。深夏は無視して続けた。
「頭はいいし、顔もいいし…何より、あの笑顔…!」
 高らかに宣言するように、ぐっと腕を握りしめ、叫んだ。クラスはそんな彼女に慣れているのか、無反応だ。日常のひとコマとして受け止めていたのだった。
 食べていたパンを片手に持ったまま、深夏は上半身を明理に触れるほど近づけた。そのままの姿勢で、
「何の文句がおありで?」
 凄む深夏に声が出なかった。溜息をついて、深夏を見る。
「……深夏が、好きなんでしょ?」
「うん」
 間髪を入れずに、深夏は答えた。そうして、深い笑みをこぼす。  なんて綺麗な笑みを浮かべるのか。同性でも見惚れるほどにうっとりしてしまった。面食らったと言ったほうがいいかもしれない。 好きなら深夏が告白すればいいのに。なぜそれを他人に勧めるのか。
「……深夏が、告白すればいいじゃん」
 明理の低い声が口から漏れた。かえってきたのはあっさりとした声だった。
「もうしたよ」
「へー……え!?…」
 あっさりどころか潔すぎて、言葉の意味が頭に入ってこなかった。理解するのに三秒は要した、と思う。
「あ、でも。世間一般でいう恋愛要素を含んだ告白じゃないよ?」
 普通の口調で普通の声色、今日の出来事を話すようだった。
「テレビのアイドルに対するファンみたいなものかな」
 再びにっぱりと笑って心配しなくてもいいよ、なんて言う。何が心配なのか。それよりもあっさり肯定されたほうに吃驚だ。今までそれ関係と無縁だったために、友達のことでも自分がドキドキしてしまう。冷水ではないけれど、水を頭からぶっかけられた感じだ。
「…じゃあ、振られたってことか…」
 二人とも自分の知り合いがだからか、複雑な思いで口にしたら、深夏はさらりと否定した。右手を横に振る。
「ちがうちがう。人の話聞いてた?振られてもないし、付き合ってもないよ」
 「告白」したのに「振られ」てもなく、「付き合」ってもいないってどういうことなのか。明理には全くわからない。
「何度か話たこともあるけど、瑞貴君見てると応援したくなるんだよねー」
 何を応援するのか、明理にはさっぱりだった。それ以前にいつ二人は知り合ったのだろうか。明理には検討もつかない。瑞貴と深夏は小中が違う学校で、部活も違う。二人の接点が思い浮かばない。深夏は明理とよく行動しているから、たまに明理が瑞貴と校内で会った時に見知った、ということだろうか。明理があれこれ考えていると、答えは本人から発言された。
「ちょうど一年くらい前に、ばったり廊下で会ってからかな。瑞貴君はもう有名だったし、なんとなく話してたら、ホント、応援したくなったんだよ」
 最後のほうから若干優しい目になって、本当に深夏は瑞貴が好きなんじゃないかと思った。それと同時に、明理は廊下で会っただけで話すだろうかと見当違いのことを考えていたのだった。






 貴重な昼休みは五十分だ。
 たいていその内の二十分は昼食に使い、残りは何かしらで消える。「何かしら」は毎日違うから、何かしらだ。
 今日は瑞貴からの借り物を届けることに使い、その後は教室でのんびりする予定だ。小テストがあるが、のんびり構えるのだ。
 誤解のないようにいえば、借りたのは姉さんだ。月に2、3回のペースで瑞貴と姉さんは本の貸し借りをしている。読むのが速い姉さんは、本を読み終えると次の日にでもすぐに返したがる。瑞貴と私が同じ学校に通っているのをいいことに、姉さんは私をいいように使っているのだ。
 今回の本はずっしりと重く、片手では持ち切れない。
(辞書より重いって……、運賃もらいたい)
 昼休み独特の解放感の中を、のんびりと歩く。
 かなり本気で運賃代を貰おうと思っていた時、聞き覚えのある声に呼ばれた。それが自分の名前だと判断するのと、声の人物を特定するのとで、きっかり三秒、たった。
「…何かよう?雪さん」
「いまの間は何かしら」
 明らかに不快に思っている口調なくせに、雪はニッコリと笑いかけてくる。
「たいした意味はないけど」
 雪は肩にかかった長い髪を払いながら、目を細めた。何とも優雅で自然な振る舞いだった。厭味すら感じさせないのが彼女のすごさだろう。
 明理は幾度となく、彼女と同じような会話をしていたが、相変わらずの完璧ぶりに感心した。
 長い睫毛にくっきりとした目元。髪は長いけれど、ひと房さえ乱れていない。立ち姿はすらりとしていて、全てが綺麗に整えられている。なぜこんな人物が自分に話しかけてくるのか。初めて会った時もそう思ったが、たいてい見知らぬ女の子が自分に話しかけてくるのは瑞貴関連だ。つまり、彼女は瑞貴に好意を寄せているのだ。彼女は否定するが。あからさまにうろたえているところが、明理にとって可愛らしいので憎めない。彼女の次の言葉にはうんざりするが。
「今日も彼のところへお使いかしら」
 疑問文ですらなかった。
「本当に仲がいいのね」
 また笑った。まぜ笑うのかわからないが、確か彼女は瑞貴と同じクラスだった。ひらめいた。
「まぁ、姉さんとがね」
 明理の言葉に目を見張った雪に、今思いついたかのように明理は提案した。
「あ、そうだ。雪さん、今から教室戻る?」
「……えぇ」
「よかった。じゃあ、この本頼まれてくれる?次の時間、私テストあるんだよね。一分一秒でも惜しいから、瑞貴に渡してくれないかな」
 言い終わると、雪は目をきょろきょろさせて口ごもった。何を言おうとしているのか判断できないが、どうやら相当慌てているらしい。明理はその可愛らしさのために引き込まれないように、必死に抑えてニッコリ笑う。
「…そこまで言うなら、渡しておくわ」
 雪は普段落ち着いた人なのだが、今では瞳が泳いでいる。
 明理はそういった雪の様子を見て、自分の周りにはかわいい人がいすぎじゃないかと思いつつ、雪の気持ちが変わらないうちに、そそくさとその場を後にした。ずっしりと重い本を渡すことに、少々後ろめたかったが。







 瑞貴は入学当初からかなり人気があった。頭脳明晰で器量よし、身長も高い。運動能力がやや並ではあるが、彼の人気は収まることはなかった。
 昔はそんなんじゃなかった、はずだ。ほとんど遊びはしなかったが、小さい時は弱々しかった記憶がある。外で遊ぶよりも、部屋で読書をすることを好んだ。人見知りも激しかったはずだ。それが、どうすればあんな人気者になるのか。全くもって謎である。人は成長するものだなぁと呑気に考えていたら、知り合いだということが知れ渡り、一時は変な噂まで流れたようだった。人づてにきいたから、よくは知らない。「知り合い」でも、「仲がいい」でも微妙な間柄だったから複雑な思いで一学期を過ごし、夏休みになった。二学期三学期と何事もなく、安穏に過ごしていたはずなのに、またぶり返しそうな今日この頃だ。
 そんなことを意味もなく紙パックの自動販売機の前で考えていたら、再び声をかけられた。再びたっぷり三秒間待って、明理は答えた。
 テストは一応あったが、その前に一息しようとしていたのだ。
「なんだ、光弘(みつひろ)か」
振り返らずに、無造作にボタンを押した。
「何かよう?」
 声の主は飄々と答える。
「お前に用はないな。飲みもん買いにきただけだし」
 昼休みも半ば、教室からは遠い位置にある自動販売機が置いてある場所は、ほとんど人がいない。昼直前ともなると、教室から遠かろうが人で溢れかえるのだが、さすがにこの時間は閑散としていた。だから来たというべきか。
 光弘がお金を投入する前に、明理は持っていた紙パックを無理やり手渡した。驚く光弘を尻目に再び明理はお金を自動販売機に投入し、自分が絶対に飲まない渋みの紅茶を買った。また、それを無言で光弘の手に渡す。それを全部で五回、明理は行った。
「お前さぁ、その奢り癖、直そうとおもわねぇの?…癖っつっても、面倒事起きたときのストレス解消だけどな」
 光弘は呆れながらも、物色していた。
「奢られる人間が文句言うな」
 ぞんざいに返事をして、光弘は近くのベンチで戴いている。
 ざわめきが、あいた廊下から伝わって耳に届く。それが、明理と光弘を日常から離す。その中で、日常の会話をする。静かな時間と空間。明理はこの感覚が好きだった。
 ふってわいたように、光弘が聞いてくる。
「おまえ、今日は部活来るわけ?」
「普通に行くけど。それがどうかした?」
 なんだ、こいつ。わざわざ聞くようなものでもないのに。むしろ、鬱陶しく思っているくせに。なまじ、小中高の学校が同じで、幼少時の習い事もいまの部活も同じだと仲がいいを通り越す。互いに思っていることで、本当に「今さら」だった。
 だから、光弘が口の端を釣り上げ憮然とした態度となったのは予想がついた。
 存分に言いあってから、買いあげたジュースで思い出した。
「雪さんにひとつジュースあげといてよ。さっき瑞貴の本を持ってってもらったからさ」
 光弘はじっと明理を見つめ、小さく溜息をはきだした。眉根に若干皺がよっている。明理がなにかを言う前に、光弘は手をひらひらさせて行ってしまった。







 部活の前に、いつもの自動販売機の前で甘いジュースを飲む。明理の習慣だ。
 授業終わりのざわめきが、遠くで聞こえ、静寂な空間を独り占めできた満足感が堪らないのだ。
 鞄をベンチに置いて、自動販売機を見る。三つ並んで、紙パック専用が一つに缶専用が二つ。安さからいつも紙パックを選んでいたが、今日は気分を変えようと缶の前に立つ。ゆっくりサイフを出す。段の下にある缶コーヒーと上にある炭酸は抜かすとして、真ん中の段を目踏みする。野菜ジュースにオレンジジュース、紅茶系にスポーツ飲料ときた。なんかないかなと眼を右にずらすと、一番端っこに目をひくものがあった。
 黄色と茶色のパッケージ。誰もが簡単にイメージできるだろう。
 『バナナココア』(赤字で甘め)。
 たんにスルーしていただけなのか、新しく入ったのかは分からないが、『甘め』に惹かれた。うん。これにしよう。こういうときは直感に任せるべきだ。気になるのは、他の缶に比べて一回りほど小さいことである。
 のっそりとお金を出す。
「明理?」
 はてな付きで名を呼ばれた。覚えのある声だった。それでも今日呼ばれた中にはない。かつ、自分の名を呼び捨てにするのは一人しかいない。
「瑞貴か、この時間ここにいるなんて珍しいね」
 瑞貴の所属する部は確か授業終わってすぐにはじまるはずだ。よくわからないが、瑞貴は苦笑している。視線をあっちこっちにやっていた。
 なんだろう。ここまで挙動不審するヤツだったか。
 たいして考えず、明理はとりあえずと、自動販売機の硬貨投入口にお金を入れた。落ちる音が、耳に心地よく響いた。
 何も言わない後ろの人間を不可思議に思いながら、右手の人差指をバナナココアのボタンへ持ってゆく。どんな味なのかとわくわくして、頭の中はそれだけでいっぱいだった。
 ためらいを押しのけるように、瑞貴が明理を呼んだ。
 明理は、ウキウキを抑えられずに弾んだ声で答えた。
「なに?」



「俺は、明理が、好きだ」



 ぽち。――がっちゃん。
 今、耳にした言葉が理解できなかった。現実を疑った。なにを聞いただろう。それよりも、それよりも…?
 目の前にあったのは真っ黒だった。そう、まさしく真っ黒だったのだ。突然の告白に、動転と戸惑いが渦巻き、指は真っ直ぐいくことなく、あろうことかコーヒー群のある下方へといってしまったのだ。
 いっきに明理の頭が覚醒した。
「どうしてくれんの!!」
 明理は瑞貴に詰め寄り、出てきた缶を突き付けた。まさしく真っ黒なブラックコーヒーを。
「…え?…あ?……あ!」
 瑞貴は突然の明理の抗議に戸惑ったが、手にしていた缶を見て気が付いた。明理はコーヒーが飲めない。どれだけ砂糖とミルクを入れてもだ。ブラックなら、なおさらだった。
「えじゃない!あじゃない!!」
 明理の怒りように、瑞貴は数秒前に言った自分の言葉さえ忘れた。それどころじゃなかったのだ。明理が本気で怒っている。それだけ、瑞貴にとっては動揺ものだ。なんとか明理の気を鎮めようとあれこれ考えるが、おもうようにまとまらない。
「…ええっと……」
 そんな彼に手を差し伸べた(?)のは、明理だった。ただし、低いトーンで。
「…かって」
「え?」
「…ジュース、買って。コーヒーの、代わりに……!」
 俯かせている明理の表情は読めない。瑞貴はますますうろたえるが、なんとか抑えて理解する。
 缶コーヒーの代わりにジュースを買う。そうだ。そのためにはお金がいる。そう、ジュースを買う為に。百円硬貨と十円硬貨が必要だ。少なくとも。
 ポケットに手を入れかけた瑞貴の手が止まった。同時に声がした。瑞貴の声だった。
「あ」間の抜けた声だった。
 明理はそれだけで理解したのか、ぴくりと身体を僅かに動かした。気のせいか、どす黒い影がゆらゆら見える。瑞貴は冷や汗が止まらない。
「……ごめん、…なさい」
「…みぃーずーきぃー……!」
 ゆらりと顔を上げ、明理は瑞貴を逃がすまいと肩を抑える。顔は上げているはずなのに、表情が読めない。暗くてよく見えないのだ。…見ないほうがいい気がした。
「……」
「…あ、明日!明日必ずもってくるから!」
 動きが止まらない。もうひと押ししてみる。
「……今週いっぱい、おごるから!」
 動きが止まる。黒い影さえも。静かに明理が聞いてきた。
「…ホント?」
 こくこくっと頭を縦に振る。そうすると安心したのか、明理はするすると元に戻っていった。影のかたちもなかった。
「うん。それならいいや」
 さっきの様子が嘘のように、明理は笑った。
 身の危険が去ったためか、瑞貴は思い切ってみた。
「…あの、明理……」
「…ん?」
 何事もなかったようだった。明理はすでに明日の昼休みのことを考え、ウキウキ気分なようだ。これは本当に忘れている。告白の衝撃よりも、缶コーヒーを買った方が衝撃だったのだ。
 瑞貴は何でもないと言って、苦笑した。苦笑するしかなかった。
「明日、絶対だから!教室に持ってきてよ」
 瑞貴の頷くのを確認してから、明理は何事もなかったように歩き去った。明日のお昼はどれだけ甘い時間になるのか、ただそれだけを考えていたのだった。





***




「ちょっと待て!!おまえ、あれだけしておいてそれで終わりか!?」
「見事に散った、というより、咲いてすらないというか」
「…う、いや」
「だから、いつも、押しが甘いって言ってるんだろうーが!なんであそこでやめるんだ!」
「やー、でも、あれはないよね。告白されたこと忘れるなんて」
「……」
「しかもなんだ!来週毎日ジュース奢るって!?バカか!」
「いいんじゃない?これで毎日会う口実が出来たことだし?…あ!なんならお昼一緒に食べようよ」
「…いいのかな?」
「いいよいいよ。うん。四人で食べるってことで」
「…ありがとう」
「……(溜息)」(←道連れ)
「甘いランチはいつになるかなぁ」
「砂糖を入れれば甘くなるだろ」
「…え…」