白の十字に答えを求め。後編





 オレが此処に来て間もない頃、奇妙な資料を見つけた。それは全部で戸棚の一段分あり、紙の形質、性質は様々だったが、明らかに他の資料とは異なっていた。

「墓守と死者との交流記録だよ」
「死者との交流は禁止じゃなかったのか?」
「こちらからのコンタクトは良くないけどね。上天が近い魂は稀にだけど、話しかけてくることがあるんだよ。最後だから、いろいろおもうことがあるのだろうね」
 男は少し淋しげに続ける。
「それでも、大抵の墓守は相手にしないようだよ。此処に来ても感情を捨てずにいた人がこれを残したと聞いてる」
付け加えるように男は呟いた。
「私は一度もないけどね」


 彼女はその中の一人だった。


 8106−楽園−でいきなり声をかけられたのだ。ひどい顔をしていたらしく、その声の主はクスクスと笑ってこう言った。
「このエデンで、そんな顔をしていると皆から怒られてしまうわ」
 流麗でいて可憐な澄んだ声だった。耳に心地よく響く。
 女性にしては首ほどの短い亜麻色の髪に、黒い瞳。白いワンピースがよく似合っている。しかし、ここに運ばれた魂だと証明する白いもやがかかっていることで、儚い雰囲気だ。
「自分を思いつめて、嫌いになって、これからどうしようって顔」
 オレが答えられずにいると、その女性はますますクスクスと笑った。それでいてその笑いに不快な感情は起きなかった。
「そんな感じだと、どこかの誰かさんみたいになるわよ?」
 そう言ってくるりと回って目の前から姿を消した。
 その女性が男の知り合いだと知ったのは、少し経った後だ。




    *




「またそんな顔してる」
 わたしがそう声をかけると弾けたように顔を挙げ、彼は眼を瞠ってこちらを見た。それも仕方がないかも知れない。わたしと彼のいる場所は8106ではなかったから。上天の決まったわたしは、鎖が解かれたように8106以外の処にまで移動できるようになった。日に日にその範囲は拡大して、きっと最後には上天の行われる場所まで続くと思う。
 わたしは、今度は笑わないで待つことにした。しばらくの間わたしたちは互いを見ていた。観察と言った方があっているかも知れない。
 無造作な黒髪に、少しだけ釣り上った瞳、近づきがたい雰囲気を持つ彼。あの人とは全くの正反対だ。
 あの人は淡い金髪に、碧眼、いつだって笑っていた。明晰で明るい人柄だった。
 それでも、二人はすごく似ている。
 20年前、あの人はわたしを殺して此処へ来た。此処でこうして時間をつぶしている。これが己の罰だとでも言うように。
 だから、聞いてみた。彼が此処に来た理由を。
「理由なんてない。ただ此処に流れ着いただけだ」
 吐き捨てるように言った彼の瞳があの人の瞳に重なる。
 なにもない。意味も理由もなく、ただ日々を過ごすだけ。たった独り。
 そのまま彼はわたしと目を合わせることなく何処かにいってしまった。
 理由なんて、聞かなかった方がよかったのかもしれない。墓守なのだから。
「暗いねー。嬢ちゃん」
 唐突に渋い声がした。右からだ。
   わたしは顔だけそちらにやると、思った通りの人がいた。銀色の髪に黒い瞳をした、不精髭が特徴の男性。通称"ギン"。乱れ切った長髪は、品の欠片もないのに妙におかしくない。丸い酒瓶を常に肩に引っ掛け持ち歩いている。そのうえ、お墓に建てられているのは十字架ではなく持っている酒瓶と同様のものだったりする。かといって、無類のお酒好きというわけでもなく、実はニガテという変な人。
「そうですか?」
 わたしはわざと惚けて見せた。ギンさんには意味がないと思ったけど。
 そーそーとギンさんは言って、地面にあぐらをかいて酒瓶によりかかった。
「なぁ、嬢ちゃん。あの若造のことをどう思う?」
 彼のことだ。
「悩んで悩んで迷いながら、答えを出そうといしている不器用な子供ですね」
 彼とあの人が似ているのはそんな部分。最も、あの人はそんな顔を微塵も出さない。
「俺にはただの甘ったれたガキにしかみえんがな」
 彼が甘えているというのなら、わたしだって甘えている。ギンさんは何が言いたいのだろう。
「俺と嬢ちゃんのあの若造の意見が違うようにな、人の考えなんざぴったし合わさることはねぇってことさ」
 ギンさんはちらっとわたしをみて、再び前に顔を向けた。その先にあったのは此処で一番大きな白い十字架だ。地には白に映える赤い花の群生が、天には光る太陽が顔を覗かせている。ギンさんが続ける。淡々とした口調だった。
「ましてや、赤の他人の考えをそのまた赤の他人がわかるはずねぇ。周りが自分の気持ちをわかってるなんてなおさらねぇ。親子兄弟姉妹でもな。わかる奴はいるかもしれねぇ。だが、凡人の俺らはそんな芸当できねぇ。絶対にそうだって思っても、違う可能性は捨て切れねぇな。てめぇの考えはてめぇにしか知れねぇんだ。だからってなにもしなかったら独りになるだけだがな」
 ギンさんの言葉はいつもより長くてややこしかった。けれど、言いたいことは何となくわかった。きっとわたしは恐れていた。伝えることが怖くて逃げていた。わかってくれている、話さなくても大丈夫と決めつけていた。本当は他人と一線を引いていた。
「わかってほしいなら、気付いてほしいなら、言葉を使うしかねぇ。そのための言葉だろ。いらねぇ時だってあるだろうが、いる時だってある」
 わたしは後悔なんてしていない。でもあの人はそうじゃなかった。そう思ってなかった。すれ違いがあった。でもそんなことは正せばよかっただけ。何もしないでわかってくれないことを嘆くよりはずっといい。どうしてそんな単純なことに気が付かなかったのだろう。
「ま、自分の人生だ。どうするかは自分で決めるんだな」
 ギンさんはわたしを見上げて、片目を瞑った。
 それが妙に様になっていて、わたしは思わず吹き出してしまった。




    *




 昔からだ。


 何か特別なことがあったわけではない。
 オレはどこにでもいる、悲劇もなにもない、変わりばえのない、人間だ。


 どこかが他人と違うと感じていた。


 ただ、できなかった。人が簡単にできることができない。致命的だった。
 ずれを感じた。人とのずれを。
 悲しいことを悲しいと感じない。人が感じる時に何も感じなかった。
 人の世界で生きていくことが不可能に思えた。
 それでも、そんななかでも、できる限りに人ごみの中で埋もれて生きてきた。

 偽って生きているつもりはなかった。


 ぎりぎりに生きてきた。毎日が暗闇だった。苦痛だった。
 人といることに限界を感じた。
 表面だけの関係性。信憑性のない言葉。
 これを偽りと言わずになんと呼ぶのか。


 逃げることしかなかったのか。


 人といる時間が長ければ長いほど、孤独を感じた。
 あるいは、始めから独りだったのかもしれない。
 だから、世界と離れた。
 成立してもいないものを意味もなくし続ける必要はなかった。


 いまだ答えを求めている。
 オレは此処にいるしかないのか。



     *



    さようなら。
    さようなら。




     *




 彼女が上天することを男に告げた。すると微かに声の調子を下げて答えた。
「そう」
 陰が男を取り巻いている様にオレは感じた。
 振り向きながら述べる声はいつもの口調で、仕事の話をし始めた。
 それに託けて声が上がった。
「そんなんじゃいつまでたっても終わらないっていってんじゃーん」
 赤いほうだ。
「変わったと思ったのにぜんぜんじゃん。それでも、人は独りじゃ駄目になるってことだね。ひとりきりのときと打って変わって明るくなったしねー」
 何も答えずに、男はその場を離れていった。





 私は恐れている。人を知ることを恐れている。
 知られることを恐れている。
 誰も私の気持ちなどわからなくていい。想像できないほど歪んでいる。
 解らないのは当たり前。言葉があっても通じ合えることはできない。
 だから、よかった。独りで。そのほうが楽だから。
 私もわからない。解りたくない。考えても浮かばない。
 此処に来たのも人がいなかったからだ。
 関わる事を恐れた。
 押しつけられることも恐れた。
 それでも、独りが辛いことは今も昔も変わらなかった。





 上天が起こる場所はあの二頭の生物と会ったひらけた区画だ。
 何時ものように静寂で、淡々としている。
 ただ違いを挙げるとすれば人が、この場を埋めるほどいることだ。
 人の気配はしない。声は、幽かだがしていることはしている。魂に気はないのだ。
 俄かに辺りが光で輝きだす。
 始まる。
 上天が。
 オレがやることは二つ。
 「手紙」をここの中心でできる限り高く上方に放り投げること。
 そして、魂が上天するのを見続けることだ。
 オレは玉を右手に持ち、構えて放った。玉は、ある程度まで上がると、中に浮かび止まって光り始めた。
 そうして、上天する人々も同調して光に包まれ始める。
 光って直ぐに消える人がいた。
 しばらくそのまま光り続ける人がいた。
 笑う人がいた。
 泣く人がいた。
 何が起こったのか理解していない人がいた。
 多様な感情に入り込まれて、振り回されそうだ。
 そんな中、視線を感じた。
 彼女だ。後ろには銀色に輝く髪に酒瓶を背負った男がいる。
 光に包まれながら彼女は言った。最後の言葉を。
「きっと、相手が理解してくれる・・・なんて、自分の都合の良いものを求めることが間違っていたのね。だから、独りきりになってしまう。擦れ違っても、それを直そうとは思わないで諦めて。本当は独りになったことを他人の所為にしてたのかもしれないわね」
 寂しそうに彼女は笑った。それでもその表情はきれいだった。
 振り切るように彼女は、オレの背後に眼をやる。
 何度か口を開閉して先ほどとは打って変わった、明るい口調だった。

「わたしはあなたを恨んだことなんてないわ。一度もない。だから、そんな顔しないで」

 男は眼を見張った。彼女は風のように男の近くに移動し、男の頭を撫でた。
 数秒もしないうちに光の粒子が彼女を囲む。そして――――

 消えた。

 男は俯いて表情は伺いしれない。
 ただ、何か呟いた。
「わ、私は・・・・・―――――」




 男が彼女に何を言ったのか、それはオレにはわからない。
 二人は本当はどんな関係で、何があったのか、オレは知らない。ただわかるのは、二人は互いに理解し合い、信頼し合っていたことだけだ。
 それでも起こったすれ違い。
 どうすればよかったのか。
 二人はそれを示して見せた。
 わかっていても、知っていても、信じていても、言葉にしないと伝わらないことがある。
 オレははじめから間違っていた。誰かがわかってくれる、察してくれると甘えていた。  独りだった日々は自分から何もしなかった。
 何をしていいのかも解らなかった。
   何もしなかった。
 求めただけだった。
 だから独りだった。
 仕方のない、どうしようもない結果だった。
 当然の結果だった。
 それでも向かい続けるしかない。自分と。他人と。
 答えはまだ、見つからない。
 きっと此処にはない。
 それでいいと思えた。
 たった一人でも生きていける気がした。問題は山積みだ。
 でも、できるはずだ。
 そのための手段は今の自分にでもあるから。




    *




 光の粒子が強さを増して微かだった人影が益々薄くなっていく。
「お。やっと俺も成仏できる日がきたか。さんざんゴーイングマイウェイな人生送ってきたが、最後も俺らしく逝けそうだぜ」
 ギンは手を挙げて振った。
「じゃあな。管理人さんたちよ」
 言い終わると同時にここら一帯が光に包まれ、集まっていた魂が一斉に消えていった。
 治まると何時もの静寂な、それでいてどこか明るい場所になっていた。
 上天が終わった。
 が。
 二人の墓守以外に取り残されている者、いや、魂がひとつ。
 銀色の長髪に丸い酒瓶を背負った―そう、ギンと呼ばれた男だ。
 その長身の身体がわなわなと震え、丸い酒瓶はもう少しで落ちそうだ。ギンの顔はうかがい知れないが今の顔ならわかる気がした。きっと呆けているに違いない。
「……いいっかげんに、俺もいかせろーー!!!!!!」
 ギンの叫びが響く前に、オレは疲労で意識を失った。


 銀色の長髪に酒瓶を背負った男。
 通称"ギン"。
 なぜか上天できず、三百年以上此処にいる、らしい。