白の十字に答えを求め。前編



白い十字架が幾百も並んでいた。
日の光を浴びて、時に光った。
ここは、名もない魂が眠る場所。




*




「理解などされないさ」
 黒い簡易服に身を包んだ彼は言った。窓を背に、俯いた顔が逆光で見えない。
「何が」
 私は即答えた。長くもなく短くもない黒髪を揺らして、彼は顔をこちらに向ける。
「オレがここにいることさ」
 年若い彼は年齢に相応しくない冷静さを持っていた。
「まぁ、それは思わざるをえないけどね」
「あんたも、そう思うんだな……」
 幾分か声のトーンを下げて、彼は黒い瞳を伏せた。自嘲した彼の顔は諦めの色で覆われている。
「ふつーは誰だって思うぞ」
「あぁ、そうだ。だから誰もオレなど理解しない」
 顔を上げて、彼は先ほどと打って変わった強い口調で言った。その目には何も映さずに。

ここは魂の眠る場所。死者の行き着く場所。
彼と私はここの墓守をしている。他には誰も居ない。
こういうところは他にもいくつかあるが、たいていは年経た者が墓守となっていた。
 彼がここに来て、数ヶ月が経った。
 突如ここに来た彼を私はいまだに理解できないでいた。

 墓守はだいたいが世間にうんざりした者が最終的に行き着く場所だ。静寂で、喧騒が無く、ゆったりとした時間、それらを求めて。彼も若い方だが、かくいう私も若い方だ。もうすぐでやっと四十になる。彼は二十になるかならないかだろう。
 過去に何があったかは知らない。もとより、聞かないようにしている。世間とやっとはなれたのに、わざわざそれに関わる墓守はいない。聞いてはいけない、というより聞きたくない、の方があっているだろう。他人と関わりを持つことを恐れている墓守も少なくない。

 ふいに、彼が立ち上がった。
「どうしたんだい?」
「外を、見てくる」
 振り向かずに、彼は言った。
「あぁ…いってらっしゃい」
 彼は音すら立てずに、何事も無く光が降る外に出て行った。
 彼は時々、暇な時間に出かける事がある。ここに観るべきものは無い。喜々と感じるものもない。だからなのか、ただ歩いている。そして、白い十字を眺めている。そこに、彼がここにいる意味があるのだろうか。




      *



   心の奥の奥底。
   静かにそびえ立つ、悲しみのオブジェ。
   散らばる破片でもう一度。


 海のような深い青をした、水海(みずうみ)。日の光で薄い水色にうつろぐ。
 オレは呆然と立って眺めていた。
 背後には森のように立つ白の十字架が並んでいる。
 904―響霊詞―と呼ばれたこの区画は倒れた遺跡の片鱗が点在している。故郷に帰れず、遥か彼方で逝った者たちが眠る場所だ。
 並んだ十字架に刻まれた名前を見るともなく見ながら、オレは水海に沿って歩き始めた。
 904の隣にあるのは、1079―土花宮―。あたたかな日の光とやわらかな土の香りに包まれている。その上を花が朝日に輝く月の様に十字架を囲んでいる。幼く逝った魂が眠る場所だ。
 オレは立ち止まって、薄紅色の花が咲いた十字架を眺めた。
 そうして声がした。
「他にも、最後まで命をまっとうした魂が眠る378―水夜―や、とても大切な人を残してしまった魂が眠る357―彩那―、志半ばで逝ってしまった魂が眠る97―玖那―……と。とても数年では見まわりきれないほどの区画がある。キミの思い人はみつからない」
 オレとは対照的な白と橙色を基調とした服を着た男が、ここの入り口に立っていた。手にはここを維持させるための星屑のプリュードを持っている。
 オレは横目で男の作業を見ながら答えた。首辺りで結われた肩より少し長い黒髪が、風で揺れている。
「別に、そんなわけじゃない」
 男は意外そうに、また安心したように言う。
「そう、それはよかった。ま、あまり追い詰めない方がいい」
 長身である男はひょろりと細長く、とても四十に近い年頃には見られない。
「なぜ」そんなことを言うのか。
 男は普通に言った。淡々と。
「私がそうだからだよ」男が手を広げる度にプリュードが散らばって溶けて行く
「ここにあると気付いたのは、数年前だけどね」
 男はオレに振り向いた。少し笑っていた。
「ほら、立ってないで手伝ってくれないか。墓守だって楽というわけじゃないんだ」
 オレは咄嗟に答えられず、行動で示した。




       *



    悲しみに押し潰されて
    君を思うことさえ無くなった。
    残ったのは
    虚空を見つめる猫だった。



 私が彼女を見つけたのは、悔いを残さず幸せに死んでいった人の眠る8106―楽園―だった。はじめに浮かんだのは懐疑だった。私のせいで死んだ彼女、私が殺した彼女、私を憎むはずの彼女が、やすらかに眠っている。光と花と風と温かさに囲まれて。なぜなのだろう。わからない。あぁ、そういえば彼女は死ぬ間際には笑っていた。泣いているのに。苦しいはずなのに。笑っていた。それほど死ぬことがうれしいのか。私から離れることが、それほどうれしいのか。自分の死の元凶から離れることが。そんなことを彼に言うと、「馬鹿じゃねぇの」なんて一蹴されてしまった。
 見かけてから、8106には行ってない。恐ろしいのだ。彼女の雰囲気さえ感じることが。おそらく、こんなことを言えばまた彼に馬鹿だと言われてしまうだろう。
 私は仕事後の休憩時間に窓から吹き込んでくる風を感じながら、紅茶を口にした。




       *



    流れる星が逝きついた。
    淡く様々な色に光って。
    そっと笑って、
    迎え入れる。



 毎日決まった時刻に、訪れる幾数の魂はひどくきれいで、荘厳だった。ここの上空に一旦集まり、空を埋め尽くすと、一斉に飛散する。それぞれの眠るべき場所へ。
 数分して、いつもならあの光景のあとで閑散としているはずの空に、淡赤に光る魂が浮遊していた。あちこちに移動し、オレは頭ごとそれを追った。上から下へ。下から右へ右からオレの上空へ。やがて、オレの背後へ移動し、オレの背中にポスッと当たると同時にふみゃっという声がした。幼くトーンの高い声だ。すぐに後ろを振り向くと弾みながら、地面に当たるたびに声を発している。
 一見トカゲのようだが愛嬌があり、大きな瞳は黒色で丸い。胴体は二手二足で尻尾はそれを抜かした体長より長く、淡赤の羽毛で覆われている。弾み終わったソレは地面に這いつくばって動かない。
 正体不明のソレに対して口を開いたのはオレよりも男だった。
「…これは珍しいね」
 オレは男を見やった。驚いているようには見えない。
「ときたま魂と一緒に紛れ込んでくるんだよ。光に魅かれてね」
「いや、そうじゃなく…」
「名前ならないよ?世界には認識されてないし、人間の前にはほとんど現さない。その上、大抵の墓守にはそんなことどうでもいいことだからさらにね」
 危険はないから心配いらないよという男自身は手を出さないで、微笑んでオレを見つめている。その眼はいかにもオレに何かを求めていた。自分は何もしないのか。
 オレが改めてソレに向き直った時、ソレはガバッと起き上がり、オレに向かって吠えた。
「ちょっとキミ!!酷いじゃないか!いい気持で寝てたのに邪魔するなんて!!あ〜も〜あんな感じになるのは何時間も掛かる上になかなかなれないのに〜〜!!ていうかここどこだよ!?さてはキミ!あんまりに僕が気持よく寝てたからを羨ましがってこんなところに連れ…ってなにすんだーーー!!!はなせぇーーーー!!!」
 オレは愛嬌という言葉をすぐさま撤回し、腹が立ったのと現状把握を円滑にするために、(怒りのためにかなり力をいれて)ソレの寝首を掴んで、顔を白の十字架のほうへ向かせた。暴れまくって十字架すら見られないのではないかという考えが頭に浮かんだが、それは杞憂だったらしく、ソレはピタリと止まった。
 何かつぶやいたようだが、オレには聞き取れなかったがたいして気にも留めなかったのでソレを離した。ソレはふよふよと徐々に離れていき、オレは一息ついた。
「「あ」」
 と、呆けた男とソレの声が重なった。
気がついた時には、オレの頭に衝撃が加わり、鈍い音が響いた。脳内がひどく震えて不快だ。衝撃部分を手で押さえてなんとか痛みが引いてくるのを待っている間、アレがなにやら喚いて、男の手らしい感触が背中に感じられた。そして、なにやら柔らかな感触と鳴き声が。オレは不協和音がいまだ響く頭を無理やり起こして、顔をあげた。
 そこにいたのはさっきのアレとは比べようがないほどに綺麗で丸い瞳をした淡青の羽毛をしていた。アレと同種なのだろうが、相違ははっきりと見て取れた。輝きと柔らかさだ。
 だが、油断はできない。前科のアレが……

「きゅー……」

 ……はなさそうだ。揺れる脳内でも優しく響く鳴き声が心地よかった。それでも、眩暈が止まらない。かなり悪いらしい。足取りが覚束ない。
「休んできなさい。どのみち今日はもう仕事はおわりだしね」
 オレは答えることも頷くことも出来なかったので、すぐにそうした。答えないことがどれほど痛いかを知りながら。
 さっきの(後者)が付いてくるのがなぜかわかった。



 男は離れていく二つの影を微笑みながら見送っていた。
「彼が気に入ったようですね」
 男に対してソレはあまり納得しておらず、むしろ気に食わないといった様子だった。白い煙をカッと吐き出す。
「逆にあなたには嫌われていると…。二極端ですねぇ。彼の印象は」
 男はクスクスと声をだして笑った。
 ソレは瞳だけを男のほうにやり、突き放すように言った。
「……珍しいじゃん。キミがそんなに笑うなんてさ」
「はい?」男は目を瞠った。呆けた声だった。瞬間、理解した。言われたことを。男自身気付かなかったことらしい。
 男の感情はすぐに下がり、挙句、目を伏せた。その様子をみていたソレは呆れた声を出す。
「人間って訳が分からないなぁ。感情の起伏が激しくってさ。」
 ソレは男の周りを大きな楕円を描くように飛び、果ては男の顔面すれすれにまで近寄った。
「それがキミの生きてる証拠だよ。まだ、未練があるんだね。だから、あの場所にいけないんだよ」
 今度こそ、男は愕然とした。
 だが、男の意地が決して表には出させず、心のなかの荒波をただただ、抑えることに必死になった。
 何も答えられずに、男とソレは、そこで対峙していた。



 奥底から這い上がる、暗闇。
 悪い夢だ。思いだすものでもない。
 すぐに夢の内容を奥底に引っ込めた。あれから揺れる頭に振り回されながらもどうにか生活移住区の建物にたどりつき、ベットに横になった。なかなか寝付けなかったが、二時間ほど寝ていたらしい。大分マシになった頭の揺れだが、依然気持ちが悪い。
 それよりも今は体を動かしていたかった。ふと顔をあげると、ふよふよとアレが浮いている。微速だがそのままだとオレに当り、さもなくば壁に衝突するだろう。嫌な予感がする。非常に、だ。
 オレはソレを起こさないように両手で包むように取り、毛布をかけて離した。起きる気配はない。途端、頭痛がした。同時に記憶がフラッシュバックする。
 絡められる。足を、太ももを、腰を、手を、首を。
 動かない体。やがて来る、黒の塊。
「……っ」
 耐えきれなくて、そこから逃げるように部屋から出た。
 出たら、「顔色が悪いよ?」と紅茶を飲んだいる男に言われてしまった。寝室は広間に隣接するように作られているのだ。
 男は気にせず言葉を続けた。
「そうそう。君に手紙がきてたよ」
「は?」
 男はたいして気に留める様子もなく、手紙と呼ばれた物体を差し出した。
 オレは耳を疑った。「ここ」は墓場だ。郵便配達区域に適用されているはずないし、オレ宛に来るはずもない。
 男を凝視する。男は動じない。
「あぁ、言い間違えた。というか君が思ってるような手紙じゃなくて、次の"上天"に必要な物だよ。ここでは代々手紙と呼ばれているんだ」
 上天。魂を天に昇らせ、言葉は悪いが増えすぎた魂の整理整頓をし、この場を軽くさせるのだ。区画内の魂の保持数は過密になると魂の浄化が弱まり、時間がますますかかる。だから、清浄された魂を天に昇らせ循環をよくする。
 墓守の最大にして最重要事項の仕事だ。一年に一度の仕事で一番体力のいる仕事だ。
 前回はこの男がやったらしい。話によると数日は何もできないほどの疲労のようだ。
「オレが?」
「そう、キミが」
 なぜ、と聞く前に男は答えた。
「この役目を決定するのは私でもなければ君でもないんだよ。墓守としての経験で左右されるものでもない。ほら、さっき頭に何かが衝突したね?あれがソレなんだよ」
 男は差し出したソレを指差した。ソレが役目を担う証だよ、とも言う。
 重くずっしりと手に収まったソレは、丸くひんやりと冷たい。玉石のように光っている。
 鈍くも光るソレを、オレは強く握りしめた。