暁光に昇る 7
煩わしい空気の中を、リリス・レイリスは苛立たしい歩みで突き進んでいた。周りの目が鬱陶しいのだ。自分を視界に入れた瞬間、何を思ったかは知らないが、顔を背けたり悲しげに眼をやるならまだしも、中傷と侮蔑の眼で見てくる輩や興味本位で見続ける輩に、でかい魔術のひとつでもぶっ放したい気分になる。
仕方がない。
そう思い込もうとして、何百回目だろう。
隣にいた少女が、友人が、マディカ・フォースの継承者だった事実は既に学園だけでなく王都中に知れ渡っている。捕らえようとしてその直前で逃げられ、今も行方不明ということも。良いのか悪いのか、リリスには判断が付かない。
そんなぐるぐるの状態が一週間続いている。
授業終わりで部屋に戻る。荷物を置いて溜息を吐き出した。全身がだるく思考を停止してしまいたい。
すべて嘘だったのか。あの笑顔や仕草は。嘘をつけばすぐにわかる性格だったし、国家を破滅できるような性格でもなかった。それに、それが出来るほどの魔力なんて持ってないはずだ。魔力の偽装が出来るなんて聞いたことない。だが、枢密院が動くほどの信憑性だ。そして、最後の、あの変貌。
なんで。どうして。
私たちの絆は、それほど薄かったのだろうか。
今までの日々を嘘だと思いたくない。それでも、周りは嘘だという。どちらが真実で、嘘なのか。論理的に考えれば、アキアスが嘘だという。それを感情が否定する。論理が感情を拒否する、物語のようなこんな状況になっても、感情に流されないと思っていた。自信があった。悪は悪だ。それなのに。
「……こんなの、卑怯だわ…」
リリスは制服を乱雑に脱ぎ捨てた。黒い服をわざと選んでそれを着る。
キルフェとはあれからほとんど顔を合わせてない。お互い気まずかったし、あいつはあいつで考え込んでいたからだ。会う理由も、なかった。手を握りしめる。
何も考えずに外へ足を向ける。一人で部屋に閉じ籠っていると、何をするか自分でもわからなかったのだ。
扉が開くと同時に鐘が鳴る。メーリスはそちらに声をかけながら、手を動かす。その手がピタリと止まった。来客者に吃驚したのだ。なかば予想もしていたのだが、来るのが遅かったからだ。
近くにいた店員にしばらく抜けることを伝え、客を二階に案内する。客は慣れた様子で付いてくる。いつものことなのだ。この客は。何か辛いことや耐えられないことがあると、何時もここにきた。最近はめっきりなかったが、昔は毎日のようにきたものだ。その度に泣いては笑った。懐かしいものだ。
「で、今日はどうしたんだい?」
客を椅子に座らせ、メーリス自身は立ったままだ。客は静かに答えた。その内容はメーリスの予想と違い、意味不明なものだった。
「まさか、生きてるとでも言うのかねぇ」
メーリスは客が立ち去った後に呟いた。らしくなく溜息を吐きながら。
話は思った以上に早く済んだ。なんせ何も言わずに客は出て行ったのだ。ここ数年見せなかった表情をして、だ。
あれから何を想い、今決意したのか。それはメーリスにはわからない。いつもメーリスが聞くのは全て終わった後だからだ。今度あの客は、どんな顔をして来店するのだろうか。
「ウェルナの二の舞は御免だよ……」
窓から見えたその客を、メーリスは眼を細めて見送ったのだった。
あてもなく城下街を歩いていても、耳にする噂。一週間経ってもまだ話はマディカの件で盛り上がっている。それをひとつひとつ聞き、そのひとつひとつに苛立ちつつ、まだ学内よりはマシかと思ってリリスは嘆息した。ここでは自分はただの少女で、誰も私がアキアスの友人だった者としては見ない。
それに安堵している自分がいる。
先日行ったクオッタの店を見ると再び嘆息する。顔をあげて気を取り直す。その先に、灰色の髪をした男が見えた。考えるよりも先に体が動く。確か、角の隅に立っていた。灰色が人混みに消えて焦り、足を速めたが、そこには誰もいなかった。
腰を曲げて息を吐き出す。肺が痛くて仕方がない。呼吸を整えながら傍のお店を覗き見た。硝子張りの正面に木製の扉。硝子の向こうに陳列された人形たちが静かに笑みを浮かべていた。腰を伸ばして硝子に手を添える。ぼんやり見つめていると、自分を含めて硝子に影が出来ていた。不思議に思って目を細めると、影にどこか見覚えがあった。気付く前に影―背後から声がした。
「静かに、前を見ていろ」
落ち着いた、耳にすんなりと入ってくる声だった。視界に入った灰色が誰かを知ると、
リリスは不敵に笑った。
「……丁度良かったわ。聞きたいことがあるのよ」
「……なんだ」
一瞬硝子越しに目を合わせ、すぐに人形に目をやる。男の瞳は意外にも透明に近い水色だった。陶磁器のように白い肌に長い金髪をした人形が真っ直ぐにこちらを向いていた。笑っているように見えたが、今では無表情に見える。
「アキアスはどこよ」
灰色の男が笑った気配がした。リリスの憮然とした態度の為か、直球過ぎた質問のせいかは不明だが。
「…それは教えられないが、ひとつ、ある」
男が笑ったことに気に入らないリリスではあったが、次に言われた言葉に声をあげそうになった。それを抑えて男に振り返れば、行き交う人々が目に入った。
男に存在感がないことはわかっていた。硝子越しとはいえ目にし、耳にした男を夢だと疑ってしまうほどだった。
あちこちを見渡すと、走り去る灰色とそれを追う黒い影を視認した。それも一瞬で、瞬きした次の瞬間には、ただの市場の喧噪が支配していただけだった。耳元であの男が囁いた内容をまだリリスには理解できずにいた。
どうしてあの人が出てくるのか。また頭を悩ますものを増えた。
いても経ってもいられず、急いで学院に戻る。徒歩では我慢できずに走った。走って走って、あいつの所に行くまでにもう息は切れ切れだった。学内に戻ってきた時はすでに日は落ちていた。キルフェと良くいる学生に聞けば、キルフェは第三練習場にいると言う。一番ややこしい場所なようだ。肺がまた痛んだ。呼吸をする度に肺が悲鳴をあげる。
キルフェがいたのは訓練場の入口にある休憩所だった。長椅子に腰かけ、リリスには背中しか見えない。硝子越しに見える訓練場には誰もいなかった。すっかり日が暮れ空はもう暗闇に支配されていた。
キルフェは瞠目した。これまで私がそこまで必至になった顔をしたことはなかったし、この一週間顔をまともに合わせてなかったからだろう。
「…どうしたんだよ」
呼吸が整う前に、堪え切れずに言う。
息をひとつ吐き出し、
「…あんたは、どう思ってんの…?」
何を、と言わずとも伝わった。キルフェはすぐには答えなかった。眼をリリスから逸らし、窓の向こうに見える訓練場を見る。リリスはつられてそちらを見やった。
誰もいない、閑散とした場所だった。
剣学部の訓練場は四か所ある。この場所は寮から遠く、なおかつ道が入り組んでいる為学生はほとんど来ない。寮と教室の近くにある訓練場よりも時間がかかる場所にあるのだ。ここを利用する学生はそれなりに理由のあった時だけだ。
「……あそこさ、はじめてアキアスと会った場所なんだよ」
目だけをキルフェに向ける。
「夜だった。たまに深夜でもここを使ってる奴がいて、アキアスはそれだと思ってたよ。…でも、剣学部は男の方が多いから、どうしても女だと目立つ。アキアスは見たことが無くて、誰だろうって思ったよ」
魔学部の生徒がここにいるなんて思わないだろ、と無理やり笑っためちゃくちゃな顔をしてキルフェは言った。
「……」
「声をかけたら、冷めた目を向けられたよ。あのときみたいだった」
キルフェは顔を俯かせる。
「…あんた、アキアスを疑ってるの?」
口調を強めて言った。
「……わからない。…ずっと忘れていたんだ。次に会った時はあんな感じじゃなかったし、気のせいだって、思って……」
「……」
顔をしかめて何も答えられずにいると、キルフェが続けた。
あれから、ずっと考えてた。どっちが本当なんだろうって」
キルフェは両手の指を組み合わせて握りしめ、力の入れすぎで身体が震えている。
「…好きなんだ、アキアスのことが」
「……なっ!?…そんなんじゃ、ない……」
勢いよく顔を上げたが、リリスの顔を見るとすぐに消沈した。視線をあちこちに漂わせ、口も開閉させる。
「……っ…自分に、…似てるって、思っただけだ……」
言い淀んで語るキルフェにリリスは半ばいらつきながら聞く。
「…なんでよ」
ちらりとリリスの顔を窺い、キルフェは続ける。
「…前に言ったろ。両親がいないって。祖父母が本当の親じゃないってわかった時、俺結構ふて腐れたよ。いろんなことがどうでもよくて、周りにも冷たくあしらってた。あのアキアスの気持ちがどんなものかは知らないけど、眼とか雰囲気とかが、やりきれないって感じ…」
キルフェが言い終わらないうちに、それを遮るように音がした。リリスがキルフェの座っている長椅子に足を勢いよく置いたのだ。
「な、何してんだよ!?」
「鬱陶しいのよ!あんたは。要は気になるんでしょ。だったら本人に直接聞けば良いじゃない!」
そのままリリスは煩わしさを払拭するかのように吠えた。キルフェは唖然と口を開けていた。
「面倒くさい!自分に似ているとか、なんだかんだはもういいのよ!そうよ、聞けばいじゃない!!」
恐る恐るキルフェは尋ねる。
「聞くって、お前アキアスが今どこにいるか知っているのかよ」
フンと鼻であしらう。
「いまさっき、あの灰色男に会ったわ」
「はぁ!?」
「全て、先生が知っているそうよ」
リリスはそう言って訓練場を毅然と睨んだ。
そうしていないと頭が真っ白になりそうだった。