暁光に昇る 6

 




――狂ってしまえばいいのだわ。










 無音。
 膠着した中、誰もが瞠目した。急な騎士団と魔術師団の突入に騒然とする中、剣を突き付け、魔法を放ち続けている彼らは対象者の小指ひとつでも動けば、すぐさま対応をしただろう。見えない糸が、アキアスを縛り付ける。
 それを壊すように、動く者がいた。
 フェルディールである。
「……お、…ぅじ」
 アキアスの前にでた彼の表情は硬い。
「…どういうおつもりですか」
 一団の長かと思われる男が問う。
「こんな子供に何の用だ」
「それはあなたが一番よく分かっておられるはずです」
 少しも怯まないその男に、フェルディールは顔をしかめる。男は呆れながらに言う。物言わぬアキアスを見つめたまま。
「これは王命です。たとえ第二王子であるあなたとはいえ、止めることはできません。いいえ、誰が止めますか。あの者の存在を、誰も認めはしないのです―!」
 剣を持つ手を強く握りしめ、言葉を吐き出す。アキアスは男の瞳の中に光を見た。それは憎悪だった。
 一歩後ずさり、アキアスは声が響くのを聞いた。
(―――かわって!!)
(――!…で、でも!)
(いまさら何を言っても向こうは納得なんてしない。聞き耳も立てずに決めつけるだけ。もう、ここにいるだけ無駄。それどころか悪くなる一方なだけ!)
 早口で巻きたてる姉の気持ちは想像できた。
 わかってる。どんなに否定しても、信じてはくれない。あたしがまだ子供でも、どんなに喚いても泣き叫んでも向こうはただの人間としては見ない。もう、そうであると確信してあたしを見ている。そういう眼だ。
 でも、あたしは何もしていないのに。
 歯がゆい思いを堪え切れず、アキアスは顔を歪ませる。
「拒む場合は無理にでも連行しろという命令です。王子、あなたが邪魔する場合もそれに含まれています」
「―――!」
 はっとして顔をあげる。
 王子は知っていたのだ。こうなることを。だから傍に、だから一緒に着いてきたのだ。でも、どうして。あたしを逃がさないために?だったらどうして今庇うのだろう。わからない。何もかもが。
 誰かが名前を呼んだ。その誰かがわからないほど、周囲に目を向けていなかった。それが不味かった。気付いたら目の前に男がいた。握った剣をすぐにでも動かせる体制で、アキアスを捕らえようと手を伸ばす。





「――――嫌!」





 後ろに下がり、手から逃れようとした。一息それは遅く、触れた手を振り払う形になる。一気に場が緊張した。男は冷静に言う。
「…それは、抵抗と見ても構わないのだな?」
 疑問形ではあったが、肯定と同意だった。男が動く前に、アキアスが動く。無意味だろとわかっていても。それ以外にできることがなかったのだ。
「ど、どうして一緒に行かないといけないのですか?…こんな、こんなことをされる理由なんてわたしにはありません!」
 必至のアキアスに対し、男はどこまでも冷静だった。それだけでなく呆れてもいた。いまさらだ、とでも言うように。
「……理由、か。そんなもの、貴様がよく分かっているのではないか。それとも、わざわざ言って欲しいか」
 光を帯びた瞳がアキアスを射た。びくりと肩が動く。その光にアキアスは動揺していた。誤魔化すことを許さない、一瞬の揺れをも見逃さないそんな光だった。
 心が徐徐に冷えてくる。この気持ちはあたしじゃない。
 一歩、男は歩を進める。
「彼の者が最後に残した言葉ある」
 あたしを包むその気配は、もう決めている。あたしを守るために。ここから逃げるために。
「マディカ・フォースの名前は既に継がれている」
 男は手に持った剣を握りしめた。そうして、構えて切っ先を向ける。眼の前の少女に。
 真後ろに姉を感じる。ここにいる筈もないのに、まるで抱きしめられたかのような錯覚を覚えた。
「後継者は、アキアス・レディフェルカ。貴様だ――!」
 アキアスは消えそうな気力を振り絞って叫んだ。
「――違う!あたしじゃない。あたしは名前なんて継いでない!」
 それすら無意味だった。撥ね退けるように、男の声は冷淡だった。
「ならば貴様の父の名前は何だ。母の名前は?」
「―――!!」
「答えられないのだろう。当然だ。貴様に親など存在しない。アキアス・レディフェルカという少女もな。学院にあった書類は全て偽物だった」
 何も答えない少女に、男は続ける。少女が聞いてなくてもいいのだ。周囲が聞き、それを信じれば。誰もこの少女を信じなければ。
「偽りの書類で、どうやって学院に入ったかは知らない。だが、この時点で貴様の存在が認められないのは明確だろう」
 俯いた少女は何も答えない。それを肯定としたのか、男が手を挙げた。それを合図に、騎士達が動く。少女の周囲を固め、傍にいた赤紫の少女と群青の少年を遠ざけた。騒ぎ立てても無意味だった。それはすでに考慮されていた。
 すべての動きが終わる前に、少女は顔を上げた。そして、言う。先程よりも低い声だった。





「だから、嫌いなんだ。こんな世界」





 少女を中心に風が唸る。轟音を立てて強風が取り巻いた。周囲を塞いでいた騎士がそのまま煽られ、魔術師の放っていた光が一斉に消失した。
「…アキアス……!?」
  呼ばれた先を振り返らずに少女は男に歩み寄りながら、
「勝手に推測して、決めつける。何の根拠もないのに」
 感情のない口調で語る。
「……くッ…!!」
 砂埃が舞う中を、少女は悠然と歩みよってくる。その姿に男は戦慄を覚えた。放つ言葉に、その瞳に。
「だから、道を誤る。…後悔するよ、この選択に」
「後悔するのは、貴様だ…ッ!」
 男は剣を振り上げた―――





 金属のぶつかり合う音が響き、男は少女から飛びさがった。男でさえ信じられないような顔をしていた。それも一瞬で、少女を庇った突然の参入者を睨む。
 奇妙な男だった。無造作に切られた灰色の髪、眼を覆うほど長い前髪のために、表情は計り知れない。手足は黒布で覆われ、全体的に軽装なその姿勢は、動きやすさを重視している。見たところ武器は剣を受け止めた短剣だけだ。それ以前に、目前に見えているはずなのに、己の感覚を疑うほどにその男から気配が感じられないのだ。
 存在に疑念を持つほどの気配のたちよう。それは男の力量を示すには十分だった。
「……何者だ」
 男を一瞥して、参入者は少女の方に向き直る。腰を折り頭を下げるその姿は、主に対面する従者そのものだった。それに対し、冷めたように少女は溜息を吐く。
「……もういいよ」
 灰色の男は頷き、立ち上がる。それを合図に周囲が詰め寄り、手を動かすが、あたる寸前で対象が消えた。騒然として、一人分の影が男を映り、すぐに消えた。ばっと顔をあげると、少女を抱えた灰色の男が右の建物に降り立つ寸前だった。建物の屋根につき、すぐさま隣の屋根に移っていく。
 怒声が響く。騎士と魔術師の一団が影を追って行った。





 座り込む赤紫の少女を置いて。










 人の気配がした。マスターと呼ばれる男はコヒィを相変わらず飲んでいる。
「おヤ。帰ってキタじゃないか。小熊をツレて」
「小熊?……あ」
 メアが小熊の意味に気がついたとき、扉が開いた。
 その先にいたのは、灰色の髪をした青年を連れた少女だった。紫の髪に紺の瞳をした――
「アキアス様…!」
 勢いよく立ちあがり、その拍子に椅子が音を立てて倒れる。
「……メア」
「ヴェルグ!迎えに行くなら仰ってくださいな。一人でいくなど…」
「……」
 ヴェルクと呼ばれた青年はメアを見ることさえせず、アキアスの傍に立っている。むっとするメアだったが、アキアスとマスターはそれには無関心なようだ。マスターは淡白に聞いた。 
「あんマリ時間、ないんジャないのかい」
「……」
「…!……アキアス様」
 眉をさげ、メアは声を抑えた。
「まだ、大丈夫。まだ、ここにいる」
 片手で胸を押さえる姿は、メアには懺悔をするように見えた。