暁光に昇る 3
心を占めているのは喜びなのか、悼みなのか自分でもわからない。それどころか、冷静に考えている自分がいることに気付く。
マディカ・フォースの存在を国は絶対に許さない。
名前は受け継がれると聞く。後継者は存在しているのか。そもそも、彼女のあの行動が意図するものは何なのか。
世界最大の魔力を有すると言われるマディカ・フォースに、遭遇することは珍しいようだ。城の兵士や見てもらった医師には必ず「運が悪かった」等の言葉が出てきた。国を狙っているようだけど、周囲が言うほど活発ではないという気がする。あくまで主観だけど。噂は所詮噂で、国家転覆も何かの間違い、というわけではないか…。王子の瞳の色を変えたわけだし
でも、それが何の意味を指すのだろうか。
考えても仕方のないことばかりが頭に浮かんでしまう。
もう会うことすらない人のことを考えても意味なんてないのに。あとに名前を継ぐ人がいても、出会うことはないはずだ。ただの学生になんの意味があるだろう。
止めよう、と思っても浮かぶのは彼女の死だ。
姉に相談しようも姉はあれから殻に閉じこもって出てくる気配がない。いつもこうだ。相談したいのに、姉は一人で悩む。そして行動する。
ちょっと寂しい。
少しぐらい言ってくれてもいいのに。しないのは、気にせず生活しろってことなんだろうけど。
変に落ち込むのは止めとこう。これから城下街にリリスとキルフェと一緒に遊ぶことになっている。早い話、お祭りのしきり直しだ。あのまま屋台を巡らないまま、一日どころか三日も経っていたのだ。妙な感覚のまま学業なんてしたくない。二人はしているけど。
昼前に二人が城内のあたしに宛がわれた部屋に来ることになっていた。もう来てもおかしくない。
縦長の窓から見える空は晴れ渡っていた。雲ひとつない、青い空。気持ちのいい風が入り込んでくる。お出掛け日和とはこのことだ。
二人がやってくるときには、アキアスの頭には先程まで鬱々と考え込んでいたことはすっかり消え失せていた。
「ただいま戻りましたわ。マスター」
薄紅色の髪をした少女は顔をしかめて入ってきた。普段は強い意思を秘めた橙色の瞳が今では揺らいでいる。食糧の入っていた紙袋をどかりと机に置いた。意味もなくカウンターの形状をしている机だった。今ばかりはこの爆発寸前の少女のため、そこに特製のコヒィを入れてやる。
コヒィは黒色の飲み物だ。苦いが寝むけ覚ましにいい。ミルフィとシィガを入れれば甘く、子供でも飲める。また、それなりの技術が必要だが淹れ方次第では非常に美味しくなる。私がマスターと呼ばれているのはそのためだ。店ではないのに、ここに来る人会いに来る人そう呼ぶ。名前を知らないことが一番の理由だと思うが、いまさら名乗ることはしないでいた。結局は面倒なのだ。
「おかえり。メア」
彼女は以前ここにいた居候が勝手に連れてきた少女だ。その居候はもうここにいないが、少女はここにいることにしたようだった。
奴がここを出て何年になるのか、覚えていない。引き留めはしなかったことは覚えている。面倒だったからだ。
少女はいいように使わせてもらっている。ここは、街から幾分か離れた森の中で、食糧には特に困る。ある程度は入手可能だが、入り用なものはメアが買いに行くのだ。護衛付きで。大きな荷物の場合は知り合いにここまで運ばせている。
なんとも優雅な隠居生活だと思う。そこまで年を食っているわけではないが、無職に等しい身分にしては快適だ。
メアにはいつもどおりに街に買い出しに行ってもらったのだ。そのついでに、街の様子を見てきてもらった。逆か。ついでが買い出しだ。
マディカ・フォースと呼ばれる者が死に、街はどんな様子なのか。人々がどう思っているのか。調べにいくほど分らないことではないのだが、念のためというやつだ。結果は…メアを見れば一目瞭然か。
メアは、カップを手にしたままじっと中身を見つめている。
静寂がしばらく続いた。
窓から見えるのは霧と少しの緑だ。四六時中この森には霧が立ち込めている。山奥ということではなく、かといって天候のせいでもない。魔法で生み出した霧だった。
霧は人を迷わせ、不安にさせる。
街から離れた何もない森に、わざわざ来る人間はいないが、旅人や商人たちが、迷いに迷ってここを訪れることは否定しきれない。人と関わりを持ちたくない私にとってそれはいい迷惑なのだった。人を近づけさせないための霧だ。
「……城下の様子は、マスターの仰っていた通りでしたわ。彼女の死に対して安心と安堵を感じ手いる者が大半で、疑っている者が少数でしたわ」
音もなくコヒィを飲むメアの姿は強がっていた。
「ソウかい」
人の死を喜ぶ人の姿は異常だが、『彼女』はそれ以上に異常になっていたのだ。メアは知っている。彼女ど狂ったか。それがもたらした被害も。だから、メアは非難しない。誰も。
二人の会話はそれっきりだった。
王城から遠く離れた広場は、程よく賑わい、和やかな雰囲気が漂う。その一角に、この国の第二王子であるフェルディール・ユニスはいた。瞳孔変化により以前以上に周囲から注目されているのだが、不思議と今はそこにいないかのように周囲に人はいなかった。
彼は考えていた。先程の話の内容をずっと頭に並べ、その真意を探っていた。人が寄り付かないためか、それはさらに進行していく。そうかと思えば、彼の頭は真っ白になったように、何も浮かばない。ただぼんやりと目に入るものを見ているだけだった。
あり得ないことが、次々と起こっている。起きて欲しくないこと、そう言った方がいいのかもしれない。マディカの騒動から始まり、彼女の死。そして――新しいマディカの誕生。その、該当者。
―自分なら、死んでもいいのに。
そう思っているのに、死んでいくのは周囲の人間だけ。自分は常に生き残る。大した存在でもないのに。
そこまで思って、思考は再びあの件に戻る。
それでも、視界に見知った者を見つけ、それもたったいままで思考のうちにあった人がいた。すぐに体が動いた。対象に向かって駆け出す。
学生が三人。紫の髪をした少女と、気の強い印象を受ける赤紫色の髪をした少女と、少し自信なさげの群青髪の少年。
三人は、中央にある噴水の前を横切ろうとしていた。フェルディールは走った。距離が思った以上にあった。三人はまだ気づいていない。声が届く距離になって名前を呼んだ。
アキアスは、
「―――おう、ほご!…ふぐぐっ」
リリスに口を塞がれ、叫べなかった。
だからか、キルフェが聞いてくる。
「どうしてここに?」
「いや、三人の姿が見えたから」
息をひとつ吐き出す。
「君らは?」
アキアスとリリスは小声で言い争っている。
キルフェはそれを横目にしつつ、苦笑しながら言った。
「まぁ、アキアスも元気になりましたし、その祝いというか…」
「お祭りの仕切り直しです!」
突如アキアスが見計らったように張り切って言い出した。
「キルフェのおごりの件がまだ残ってますので」
リリスが付け加える。
「お昼ご飯だけじゃあの課題はまだまだだしね」
「ねー!」
二人が笑い合って声を揃える。残された彼は片手で顔を覆い、肩を落としていた。
「まじかー…」
マディカもことも瞳のことも、口に出さない。気にしているはずなのに。はじめあんなに驚いていたアキアスでさえ、何も言わない。気を使わせすぎだな、俺は。
フェルディールの思考をよそに、三人の会話は進む。相変わらずキルフェがやられっぱなしだったが。
くっと声を押し殺して笑うが、フェルディールはそれを抑えきれない。果ては、体を曲げて立っていられないほど笑い出した。
さすがの三人もそれ気づき、それぞれが声をかけるが一向に止みそうにない。一様に面食らっていると、フェルディールが体を起こした。それすらやっとの動作だった。
「いや、すまない。……いきなりで悪いが、俺も一緒に行っていいか?とびきり美味しいクオッタの店に案内しよう」
「へ?!」
戸惑う三人の背中を、フェルディールは構わずに軽く押し出す。あくまで優しく、されど強引に。
「…っちょっと、まって下さいって!!」
「さあ、行こう!」
アキアスとリリスとキルフェは仕方なく半分は期待を込めて、フェルディールを中心に歩きだした。
やがてその後ろ姿は人ごみに消えた。その後を、静かに追う影があった。