黄昏に沈む 5

 忙しなく動く人の波の中を、それ以上に早く足を動かす。
 この時期、城内では到る所でお祭り騒ぎだ。祭日でも生誕祭はそれが許されていた。特に騎士団関係区域は騒がしい。お祭り騒ぎをしているのではなく、その  対応に追われての騒がしさだが。

 こんな時にどこにいったのだ!あの方は!!

 王子が行きそうな場所は大方探し済みだ。食堂に稽古場、知人の執務室、城内の死角となっている場所、城下のいきつけの店。どこもいなかった。
 ユニオン第二王子であるフェルディール・ユニスの忠実かつ厳格な従者、ジーク・フェレンディーは颯爽にかつ怒涛に歩いていた。
 生誕祭という国家的には喜ぶべき日には、面倒な事件が起きやすい。世界統一から半世紀たったこの時分でも現状に納得しようがしまいが不届きな行動を犯すならず者はいる。なにかと不平不満を吐くのだ。その頂点たる存在、マディカ・フォースが今日何もしないということはない。
 かつてユニオン統一の際にその強力な魔力で尽力を果たした魔術師、マディカ・フォース。それ以来ユニオン最大の魔力を保持している者に冠された名前になった。
 彼らは名に恥じない稀代な業績を残し、それらは今も世界に有益なものを与えている。その先もその栄光が続くはずだった。ある時のマディカ・フォースが国家に対して反旗を翻さなければ。その名は永遠に変わらない意味を示すはずだった。だが、そうはならず、彼の者の名は、今では恐怖の代名詞として国民に知られている。以来、マディカ・フォースの名はその弟子から弟子へと継承されていった。魔力の最大保持者という事実は変わらないまま。
「ジーク・フェレンディー」
 低くしわがれた声が己の名を呼ぶ。振り返ると、豪勢に顎鬚を伸ばした男性が二人の従者を連れ立っている。宰相だった。常に冷静さを胸に政治を執り行い、如何なる者に対しても同等の態度を取る。民にも人気なお方だ。
 自然と頭を下げ、挨拶を告げた。
 宰相は頷き、もう一度、名を呼んだ。
「フェルディール様は今何所に居られますか?」
 微かに眉根を上げている。珍しいことだった。
「…申し訳ございません。それが今、所在が掴めない状態なのです。何か急用でもあるのですか?」
「表沙汰にならないよう、見つけ出してください。早急に」
「宰相様?」

 騒音が、膜に覆われたように遠くに聞こえる。嘘だろう…?





 淡々と語る口調は他人事のようで、それでいて寂しそうで。他人事じゃないと思うのは一方的な同情なのかもしれない。
 ――あたしはもう、避けられないけど。
 思考が記憶に支配されて周りに気付かなかった。音がしていない。気配もない。王子に声を掛けられたことも、二人が口喧嘩していることも、耳に入らない。
 自然に目がいった沼に、灰色の影が躍っていた。除除に濃くなり、ウォーターブルーに輝きだす。漂う影は人間で、水上に浮かべるほど動作が可能な魔術師――
 リリスかキルフェかのどちらかが言った。わからない。どっちだった?
「…だ、れ?」
 彼女はそちらに目をやった。
「わたしは、マディカ。マディカ・フォースよ。可愛らしいお嬢さん」
 にっこりと微笑む姿は魔術師というよりも天使を思わせられる。リリスもキルフェも実感が湧かないのか、呆然としていた。
「そんなにわたしが怖いかしら?…王子さま?」
 憂いの表情も喜びの気配もなく、ただ微笑む姿は何処か狂って見えた。
 それは恣意的に見せているのか、それともそれが本当の彼女の姿なのか。判断がつかない。
 王子は何も答えない。先ほどから何も示さないままだ。マディカ・フォースはこの国にとって危険人物だ。途方もない魔力を有し、なおかつ国の転覆を望む者。それがマディカ・フォースだ。
 王子はゆっくりとした動作で一歩前へ出た。それから口からでた言葉は、出ないものを無理やり出そうとしているかのように低く掠れていた。
「…用があるのは、俺だけだろう。子供達には手をだすな」
 庇われた。伸ばされた右手は、私たちを後方へ押しやり、剣の柄に手を置いた。
 彼女はそれを一瞥し、益々頬を緩めて笑みを深めた。
「ふふ。何処までも王子様なのね。それとも、騎士道精神というものかしら?…でも、」おどけて見せる姿は子供っぽいのに、出てくる言葉にひどく、恐怖する。「だめね。サンニンには、マディカの力を見せつけないと、ね?」
 首を傾げてまた、笑う。まるで遊び相手に向けるような笑みを。平然と彼女は向けた――後ろに居た三人に。

 足元に浮かび上がる赤い円、線、文字。自分を白い光が包む。

 ――詠唱も魔力の気配もしてかなったのに!




「止めろ!!」


 ――……ッ…!!




 王子の声と、心に響く姉の声が乱雑に耳に入り、思考はそこで停止した。