夜半に佇む 5






「待チな」
 刺々しい声に制止された。
 いつもそうだ。彼女の望むことは、誰かが遮る。
 些細な願いさえもままならない。たったひとつの、彼女の叶えたかった願いは、もう叶えられない。邪魔されてしまったのだ。
 苛立ちをぶつけるように、アキアスの声は低くとげとげしい。
「止めないのではなかったのですか」
 腹正しさを前面にだしたアキアスに怯まず、ひとつの溜息を落としてマスターは先を進める。
「止めるつもりはナイさ。…ただ、アタシは影でこそこそサレるのが、気にイラナイんだよ」
 そういいながら、人差し指を上に突き出して、軽く振る。黒い光が小さく散った。光が飛んだ先の扉が、勝手に開いた。
 その先にいたのは、フェルディールの従者、ジーク・フェレンディーだった。


「ジーク!」


 予想外の人物に、その場にいた全員が一様に驚いた。中でもフェルディールの驚きは強かった。
「結構なヤツらを連れてきたジャないか。全く、人の家に次々ト」
 黙り込むジークに、マスターは言葉をたたみ掛ける。
「お前の独断じゃナイな。あの男カ」
その言葉ですべてを察したのか、フェルディールは苦虫を噛み潰したように呻いた。
「なにもかも、計画通りだったというわけか……!」
 マディカが死んだときから。
 王子が取る行動、少女の動き、こうなることも。すべて見通して。計画した。
 おそらく、リーマスのこともはじめから疑っていた。決定的な証拠がなかっただけで、ずっと見送っていたのだ。八年前の真相。禁術の使用。その被検体。
 少女を囮にして、真実をつかもうとしたのだ。あの時少女を捕えて真実を聞き出し、丸く収めようとした。仮に捕獲できなくても、少女はなにかしらの動きを見せる。それに乗じてマディカを「殺す」。現実のマディカも、世界に破滅をもたらすといわれるマディカも。
 存在を消せれば、もう後の世に苦労することもない。
 この国の、汚点は消える。




「……そうやって、奪う。周りのことなんて、これっぽっちも考えないで」




 波立つ感情を表に出さず、低い声が響いた。同時に少女を中心に紫光が煌めき、風が吹き荒れる。
 振り向いたフェルディールの視界に入ったのは、顔を俯かせ少女とそれをみて焦る 灰男だった。
「どれだけ、殺してきた…?国のためにと」
 そして、次に耳に入ってきた言葉に瞠目した。
「………そうやって、彼女の子供も、殺した」
「!」
 少女と、目が合った。
 そうだ。この少女は彼女から魔術を習い、ともにいたのだ。知っていてもおかしくはないのだ。彼と、彼女との関係を。
「……知っていたのか」


「………ぜんぶ、あなたじゃないか。あなたのためだった!」


 声を強めれば、光と風は一層に増した。
「わかっている」
 彼女の言葉を認めるフェルディールの声は、弱々しくも否定することはなかった。
「…殿下!」
 ジークはフェルディールの言葉を遮るように叫んだ。従者の方を見て、昔のことを思い出して、フェルディールは苦笑した。
 彼女も今回のことも、何もかも全て、自分のせいだ。傍にいればよかったのに、いなかった。左目を手で覆い、彼女の残したものを想う。
「…自分の子供なのに。俺は何もできなかった。いや、何も、しなかった」
「殿下!!」
 ジークの声がとんだ。
「まさか……」
 聞いたことが信じられないのか、リーマスの声はひどく小さかった。
 アキアスの起こす光と風の中でも、フェルディール声はその場にいた全員に届いた。


 ―――マディカ、いや、ウェルナ・トゥエミナの子供は、俺との子だ。









「…ジーク!やめろ」
 切っ先は躊躇なく、アキアスの胸に向けられた。
 剣を向けたジークを無感情で見つめ返す。いや、視界にすら入れてなかったのかもしれない。
 空気が揺れた。
 目に見えないアキアスの魔力が彼女を取り巻く。光と風がアキアスの感情を表すように、魔力は高まり、術を築くために練り上げられる。
 それに焦りを見せたのは、意外なことにヴェルグだった。アキアスに向けられた切っ先を払いのけ、彼らの視界から消すように前にでた。これ以上少女に憎しみがいかないように、怒りがいかないようにとでも言うように。
 それは、遅かった。

 緩やかだった風が、一段と強くアキアスの周囲を動く。
 紫の光が煌めいた。

「やめろ!!」
 叫んだヴェルグが何をしたのか、光に遮られフェルディールには見えなかった。


 高音が耳をつき、黒い光が視界を覆う。
 硝子が割れるような音が鳴った次の瞬間、全ての音が消えた。

「アキアス!」

 重い息を何度もはく音が静寂をつく。それに重なって切羽詰まった声が響く。
 胸を抑えたアキアスがゆっくりと膝を崩していき、体が硬直する。
 完全に膝をついたアキアスを、ヴェルグが支える。
 リリスとキルフェの二人が弾かれたようにアキアスに近寄る。それに気付くこともできないのか、アキアスは無反応だ。
 口を開いたのは、リーマスだった。
「……はじめから、死ぬつもりだったのですか」
 顔に、少しの戸惑いと苦悩が滲んでいた。言葉も、アキアスに向けたというより思ったことを思わず呟いたという風だった。
 リーマスの呟きを知ってか知らずか、一層苦痛に顔を歪めさせるアキアスの表情は、姉なのか妹なのか判別できない。どちらか一方にも見えるし、両方にも見えた。
 ずっとアキアスを見つめていたヴェルグが意を決したようにマスターのほうを見上げた。対するマスターは眉をひそめたまま動こうとしない。
 二人の睨み合いは永遠に続くかと思われたが、アキアスの吐く息がさらに上がり呻き声が混じりはじめると、ヴェルグは視線を落とす。
「……だから子守りは嫌ナンだ」
 ため息とともに溢れた言葉は諦観が混じっていた。
 カウンターをまわって、マスターはアキアスの傍に寄る。容体を見て、彼の表情はますます厳しくなる。
 そんなときだ。

  「……マスター」

 すぐにでも消えてしまうほど微かな声だった。それにはっとしたのはヴェルグとリリス、キルフェの二人だった。
「……」
アキアスはうっすらと開けた瞼から見上げる。息をするのも精いっぱいのアキアスに、マスターは無言だ。その表情は、かけた黒い眼鏡でわからない。


「……お、姉ちゃん、を……たすけて」
 重たく息を吐いて、少女は言葉を振り絞った。
「……ほん、とうは、あたしはあの日、しんでた。でも…お姉ちゃんが……、じぶんを、ぎせいにして…。だから、」


 最後まで言わせずにマスターはアキアスの瞼を閉じさせた。
「そんなことは二人でキメな」
 黒い光がマスターから踊りでる。何かの形をなそうとすれば、次の瞬間にはその形を崩す。それを繰り返し、アキアスの身体に染み込んでいく。光が通った空間には文字を軌跡として残し、それは術式として作用した。組み込まれたものが何なのか、文字が何を表しているのか、リーマスでさえわからないようだった。
 アキアスはそのまま眠りについた。気を失うようにも似た眠りようだった。




「そんな、馬鹿な……こんなことが、できるはず…」
 信じられないものを見たかのように目を見開き、リーマスはそれ以上に恐れも含ませて言った。
 口端をつりあげて、にやりとマスターは笑った。鋭い目つきでマスターをにらんでいたリーマスは、やがてはっと息を呑んだ。
「……まさか」
 マディカの師。
 流れる死をひきとめる力。
 山奥に隠れ住む魔術師。
 その噂。
 ―――マディカ・フォースという魔術師は、本当は、……

「…仕事はちゃんとシテもらいタイもんだね」
 耳鳴りがするとともに、リーマスの身体は崩れ落ちた。
「なぁ、ジーク・フェレンディー?」
 その言葉に、呆然としていたジークがはっと動き出す。それとともに外に待機していたらしい騎士が小屋に入ってくる。急に騒がしくなったあたりについていけないのはリリスとキルフェだった。
 何もかも終わったような気配に、不安を隠せないのか、リリスは眠らせた張本人を睨みつけ、キルフェはずっとアキアスの様子をうかがっている。
 アキアスは一向に目覚める気配を見せない。
「そんな睨まナクても、どうにかナルさ」
 声の調子を変えずにマスターは続ける。
「今のトコロは」
 リリスとキルフェの二人はその言葉にはっとし、ヴェルグは歯軋りしてアキアスに身体をぎゅっと抱きしめる。
 重々しくフェルディールが問う。
「…どういうことです」
 マスターは呆れたように溜息をつき、フェルディールの顔を見返す。
「簡単に死んだ人間が蘇ると思ってイルのか。…いくらあの時は死んでイナカッタとはいえ、死んだも同然の状態だった。それを双子の身体に移シテも、普通なら離反シヨウとする。それを無理やり魔術で繋ぎアワせた、あいつがヤッタのはそういうことさ。リーディアの身体のほうにも負担が生じ、いずれ壊れたダロウさ。…限度がアッタんだよ、はじめから。それをどうヤッテ今まで保たせてイタのか、アタシにはさっぱりさ。……あぁ、オマエのその瞳も、似たヨウナもんさ。いずれ元に戻る。明日かもシレンし、何年かタッタ後かもシレンがな」
 驚くフェルディールをよそに、マスターは呆れきったように続ける。心底わからないとでもいうように。
「結局、あいつがヤッタことなんさ、幻をつかむことダッタンだよ。意味のナイ、無駄なことにお前ラは振り回されてイタってわけさ」
 マスターの言葉を否定するように言葉を発したのはヴェルグだった。
「……それでも」

「それでも、二人にとっては本物だった」
 にごりのない瞳で、アキアスを抱き上げたヴェルグはマスターを見ずに言った。視線はアキアスに向けたままだ。思い掛けない反論にあったマスターは、苦虫を噛み潰したかのような顔で、それに答えた。
「好きにオモエ」
 静寂が包む。すぐそばで、騒がしく動いている騎士たちがいるはずなのに、覆いがされたように騒音が遠くから聞こえる。
「……さっさと連れてイケ」
 やがてヴェルグは小屋からでていった。
 リリスとキルフェもまた、フェルディールに促され、その場を後にした。