夜半に佇む 3




「そのあとのことは、私は知りません。それきり、彼女に会うこともありませんでしたし、彼女も訪ねてくることもありませんでした」
 窓から見える空は暗く、月がまだかかっている。とはいえ、日が昇るのもすぐだろう。
「王子もすでにご存知の通り、爆発の後、リーディアとファルナの死体だけ、ありませんでした。当時は捜索もされたようですが、結局発見できず、彼女たちは行方不明ということになりました。私が次に彼女に会ったのは、7年後のこの学院でした」
 はじめは気が付かなかった。以前とは比べものにならないほどに変わりきった姿だったからだ。
 それに、髪と瞳の色が違っていたのだ。髪は紺から紫に、瞳は栗色から紺に。性格も以前の明るさと異なっていた。穏やかさはなくなり、幾分活発であった。なによりも、彼女の魔力が激減していた。
 双子の姉のリーディアは、高い魔力を有しながらそれを使用できない身体に生まれたという。先天的に魔力が放出できないのだ。そういった子供はまれに生まれてくるときく。魔術師としては「欠陥」があるということだ。
 内部と外部を装う装飾が変わり、私の記憶を狂わせていた。
 ときたま感じる嫌悪に似た視線を捉えるまでは。突き刺さる視線や、観察されている感覚が、少女から出されていると結論するのに時間がかかった。そして、それがリーディアだということも。
 来るべき時がきたと、私は思った。
 覚悟はすでに決めていた。はじめから、そうすると。
 しかし、半年がたち、一年がたっても彼女は動こうとはしなかった。いぶかしみ、不可解に思いながら、先日の騒動が起きた。そして、今日、王子が現れた。
「私は、理解していただきたいとは思っておりません。あなたからすれば、私は狂っているのでしょう。・・・私はそれでも構わなかったのです」
 リーマスはもうすでに覚悟を決めているのか、静かに答えた。
 常人からは感じられない逸脱したもの、一線を越えたものを、フェルディールは感じ取った。それが「狂」というものなのだと。










   昼間を少し過ぎた時間だった。なのに、ここは暗い。暗すぎて、夢だと思えない。
 分厚い雨雲のせいなのか、黒い灰が飛ぶせいなのか、リーディアにはわからなかった。
 王都に響いた突然の爆音。それが自分の家がある方角から聞こえたことに不安を覚えた。
 魔術の失敗。
 一番に頭にのぼったのがそれだった。
 難しい魔術だといっていた。誰もができる術ではないと。だから、知り合いの魔術師の信頼のできる人にお願いしたと。
 家は都から少し離れた場所にある。毎日学校に行くにも、買い物に行くにも面倒だけれど、静かで、ファルナにも良い環境な。周りは畑とか牧場とかがいっぱいな。
 都の門をでて、煙のあがる方向はぴったり自分の行き先と一緒だった。
 毎日通る道を、急いで戻る。
 走る度に、不安は消えるどころか増していくばかりだった。
 そして、――疑いようがなかった。
 煙は、自分の家からあがっていることに。
 信じたくなかった。嘘であってほしかった。だって、もうすぐ終わるはずだった。全部終わったら、一緒に何でもしようと約束した。いままで行けなかった学校に行ったり、遠くに遊びに行ったり、もう毎日怯えずにどこにだって行けるって。
 なのに、なんで。

 真っ黒だった。
 焦げて、元の姿が辛うじてわかる程度だった。
 家の壁、椅子と机、そして、なんだろう。なんだった?あれは。もう、わからない。
 家があった場所、そこには、もう、残骸しか残っていなかった。
 なにも、なにひとつ。






    暗い灰が降るなか、何かの音がした。かすかな、声だった。弾かれたようにそちらへ走りだしたリーディアが見たものは、仰向けに倒れた妹の姿だった。
 爆発の影響は見られず、一目見ただけではただ寝ているようだった。
「ファルナ!」
 自分と瓜二つの妹。半身のような存在。それが、――――
 抱き起こして顔をみると、青白い。単に空が暗いことが原因ではないことは明らかだった。勝手に出てくる涙を手でこする。何度も妹の名前を呼ぶ。
「…ファル、………ファルナ…!」
 いくら呼んでも返事はなかった。
 握った手はちゃんとあたたかいのに。名前を呼んでも、返事が返ってこない。目をあけないことが、怖かった。恐ろしかった。このままじゃ、いけない。
 そう思って誰かいないかと首をふる。
 願っても、祈っても、現実が変わることはない。わかっていても、思ってしまう。

 ――――……お父さんっ!お母さん!

 それが、簡単に壊れてしまうことを知らなくても。
 何かが崩れた音がして、その方向へ顔を向けた―――
 目を見開いた。自分の意志とは関係なく、嗚咽が漏れた。辛うじて人とわかる、黒いものが、そこにあった。

「……―――――――ッ!!!」










 雨が降る。真っ暗な闇の中を。
 日はまだ沈んでいない。ここまで暗いはずがない。なのに、ここはこんなにも暗い。
 リーディアは顔をあげた。前髪も隙間から入ってくる雨を構わずに、視線の先には思った以上の黒く厚い雲が広がっていた。
 もう、いい。
 体は冷たくて、腰はあがらない。動くことさえ億劫だった。視線をファルナに移して、この子は怒るだろうかと考えた。このまま一緒に眠ること、それが意味していることを、思考の続かない頭でぼんやりと思った。
 息をしているのかわからない。雨が体温を奪っていくなかで、もうあたたかさがあるのかさえ曖昧だった。
 瞼が重い。
 このまま目を閉じれば、眠れるだろうか。


 ……――――――――――、――――――――


 一瞬だったのか、長い時間だったのか、自分では判断がつかない時間がたち、気が付くと目の前に人がいた。
 その人は地面につくほどに髪を伸ばした女で、笑って佇んでいた。雨が髪や服を濡らすのを厭わずにそのままに、ただその顔に笑みを浮かべていた。そうして、何でもないように言った。

 生きながらせようか。

 言葉は音にならなかった。ただ、確かにリーディアの耳にはそう聞こえた。言葉の意味は理解できたが、思考がついていかない。
 女は再び言った。今度はちゃんと言葉として聞こえた。
「正しく言うと、まだその子は死んでいないけれど。あと数分もすれば、」

 死ぬわ。

 そう言った。
「……っ」
 わかっていることだ。それでも、それを言葉に、他人から言われれば、どうしてこんなにも辛いのか。苦しいのか。
 少女の動揺を感じたのか、女は続けた。
「だからこそ、いきながらせましょうか?」
 これはきっと、いけないこと。やってはいけないことだ。でも、それを、わたしは望んでいる。つよく、強く強く望んでいる。
 女は、リーディアの心を呼んだのか、はたまた、はじめから知っていたのか、嬉しそうに微笑んだ。子どもが無邪気に笑うように、喜びでその顔をいっぱいにして。
 


 






 女は言った。
 倒れた子供の身体には魔力がなく、それゆえに衰弱している、と。どんな医者でも、治癒師でも、目覚めさせることはできない、と。
 必要なものは、魔力。
 でも、他から魔力を与えることは時間がかかり、それでは間に合わない。
 だから、魂を移す。
「双子であるあなたの身体なら、波長もあうし、なんの問題もないわ。意識もちゃんと二人のものはあるし、入れ替えることもできるわ。そう、他人から見たら、二重人格のようなかんじになるのかしら?」
 付け加えるように、彼女は、この国で最強の魔術師であり、最悪の魔術師であるマディカ・フォースは言う。
「ただし、成功するかどうかはわからないけどね」
 にっこりと笑って、それでもいいかしらと言った。
 少女はしばらく視線をさげて、静かに頷いた。そして、聞いた。
 ――わたしは代わりになにをすればいいのですか。
 マディカは驚かず、首を傾げて、ますます笑みを深めた。
 そうね。
「……あなたは、わたしの子どもになるのよ」
 ――こども…?
「そう、子どもよ。あなたとその子が同じ身体にあれば、あなたも魔術を使えるようになるわ。それから、わたしと一緒に暮らして、あなたは魔術を習うの。その後はなにをしてもいいわ」
 リーディアは再び俯いて、そして頷いた。
 約束よ。
 マディカは微笑んだ。