暁光に昇る 8



   

「―――リーマス・ブレインが全てを知っている」







 朝日が出てしばらく、リリスとキルフェの二人は魔学部研究塔に来ていた。研究塔は魔学部の教師が使用する部屋が集合する建物だ。学院内にあり、教室を挟んで学生寮の反対側にある。中にはそのまま住居として使っている教師もいる。リーマス・ブレインはその内の一人だった。
 霧が深い。昨夜雨が降ったのだ。日中にも降るかもしれなかった。水の粒が周囲に漂い、空気が普段よりもずっと重く感じられた。
 キルフェは湿った様子の独特の空気が嫌で堪らなかった。
「…何でこんな時間なんだよ」
 キルフェは堪らず不平を漏らした。
「いいじゃない。気が張り詰められて」
 昼に行こうが夜に行こうがどうせ嫌なら、朝早い方がいいと思ったのだ。出来るだけ待ち時間を減らした方がいい。そうすれば、うだうだ考えないで済む。丁度休日なんだし。
唸るキルフェを尻目に、リリスは建物を睨んだ。
 誰もいない、そう思える妙な静けさの中を、二人は無言で足を進める。目的地は三階の右端だ。
「…おや。リリスにキルフェではありませんか。こんな朝早くからどうしました?」
 事前にしかもそう約束していたわけでもなく、しかも早朝に来訪した二人をリーマスは追い払うことなく迎えた。静かに笑みを浮かべている。リリスは怪訝な顔で見つめ、奥にいた人物に驚いた。
「王子!?どうしてここに」
 落ち着いた表情で二人を見るフェルディールは研究室に申し訳程度にある椅子に腰掛けていた。
「久しぶりだな」
 二人が呆然としていると、リーマスが言った。
「王子。話はあれで以上です。よろしいでしょうか」
「…ああ」
 二人の間でどんな事が話し合われたのか、リリスとキルフェは興味を抱いたが、切り上げられてしまった。
 二人の想いを余所にリーマスは二人に向き直る。
「それで、二人はどうしたのですか?」
 リリスとキルフェは目を見合わせ、意を決した。
「アキアスの居場所を教えて下さい」
 なにひとつ見過ごさないようにリリスはゆっくりと言った。
 リーマスとフェルディールは目を見開いた。
 普通に考えれば突拍子のない質問だ。アキアスの担任教師が居場所を知っているなんて。あの灰色男の言葉を信じたわけでもない。ただ、他に縋れる情報がなかった。





 二人とアキアスは親友だった。けれど、多くは知らない。アキアスは家族や自分のことを多くは語らなかった。親はどんな人なのか、兄弟姉妹はいるのか、学院に来るまでどこにいたのか。
 二人は知らない。
 だから疑惑を払えられない。不安が、あった。
「……くっ…」
 笑いを堪える声だった。
 今度はリリスとキルフェが驚く番だった。
 というかなんでこの人は会う度に笑うんだ。
「……お前ら、直球…すぎるだ、ろ」
 ついには声をあげて笑い出した。
 リーマスは苦笑し、改めて二人に向き直った。
「…彼女の居場所は、わかりません。ですが、…予測ならつきます」
「本当ですか!?」
「…えぇ」
 リーマスの表情は硬い。フェルディールもいつのまにか顔を俯かせていた。
 それを見てか、リリスは一番気になっていたことを尋ねた。
「…どうして、先生は知っているのですか。国さえまだ掴めていない情報を、どうして先生が」
 リーマスはそれには答えなかった。
「……街外れに常に霧が覆われた森があります。その奥にそう大きくない小屋に、恐らくいるでしょう。詳細な場所は王子が知っていらっしゃいます」
 語るリーマスはどこかふっきれたように笑った。リリスとキルフェは不可思議に顔を見合わせるが、リーマスはそれ以上何も言うことはなかった。そんな二人をフェルディールが促し、アキアスがいるらしい森に向かうことになった。
 霧に覆われた森というのは、都市の南西に位置する山に広がっている。都市からはそれなりの距離がある。徒歩で行けば日が落ちることもあり、三人は馬での移動していた。フェルディールとキルフェが乗り、リリスは乗馬ができないために、フェルディールと共に、である。
 都市部を抜け、都市を横切る川を通り過ぎてから、リリスはフェルディールに尋ねた。
「どうして、アキアスがあの森にいるってわかるんですか」
「あの山に、マスターと呼ばれる魔術師がいる。彼は…マディカ・フォースの師だった」
 リリスは眉をひそめた。
「正確に言えば、彼女がマディカになる前の師だが。後々にも接点はあったようだから、マディカと共にいたアキアスのことも知っているのではないか。そう考えてアキアスはそこにいると思っている」
 顔を曇らせてキルフェが口を挟む。
「もう、アキアスがマディカだってことは確定なんですね……」
「いや、まだわからない」
「…え、でも。今の話じゃ、アキアスはマディカと一緒にいたって……」
「一緒にいたとしてもそれが等しくマディカの弟子、後継者ということにはならない。恐らく、彼女の望みはマディカになることではなく…」
「別の目的があるってことですか?」
「そうだ」
 平坦な道のりが続く。周囲の風景は穏やかだ。遠くに霧のかかった森とその背後に山があった。
 三人は同時にその山を見た。しばらく蹄の音だけが響いた。
 その静寂が堪え切れないように、キルフェが恐る恐る口を開いた。
「さっき、先生と何を話していたんですか…」
「彼が知っている全てだ」
 全て。キルフェはその言葉を反芻する。
 何についての全てなのか。それは真実で、今二人が抱いている不安を払拭してくれるものなのか。聞きたくて、聞きたくない。
「…そういえば、王子はどうして先生のところへ?」
「俺はメーリスから聞いてだ。以前メーリスがアキアスに似た子がいるっていっていただろう?それが気になってな。その子について聞いたら、リーマス・ブレインの知り合いだった」
「つまり……」
「その子がアキアス、ですか?」
 キルフェの言葉を、リリスが繋げる。フェルディールは苦笑して言った。
「推測の域をでないが、恐らく、な」
「その子は、死んだんじゃ…」
 キルフェの言葉に、すかさずリリスが修正する。
「……死んでいなかった、というわけですか」
 弱々しいキルフェと打って変わって、リリスの声はどこまでも強く、真実を見抜こうとしていた。
「その、両方だ」
「どういう……」
 フェルディールは重々しく、口を開いた。





 七年前。魔法の失敗による爆発事故が起こった。魔術師は死亡。爆発の範囲は小規模で、幸いその魔術師は郊外に住んでいたため、被害は少なく済んだ。しかし、魔術師の子供は行方不明。遺体はなく、関係者の誰もがその居場所を知らないことがわかった。
 子供は双子の姉妹。
 姉をリーディア。
 妹をファルナ。
 いまだ行方が見つからないまま、七年の時が流れていた。
 その双子とアキアスがどう繋がるのか。死んだ子供と死んでいない子供、その両方。
 それは、どちらかが生きて死んだということなのか。リリスとキルフェはその先を聞けなかった。





 森の霧は遠くから見た以上に深く覆われていた。木々の天辺が見えていない。
「うっわ、なにこの霧…」
「普通の霧、ではないですよね…」
 森に入ってすぐにはもう三人の周囲は霧に包まれた。
「そうだな。マスターが作り出した霧だ。なんでも絶対に人を入れたくないそうだ」
「なんですか…それ」
「静かな余生を過ごしたい、と」
「えッ?そんなに高齢なんですか?」
「…いや、高齢というほどでもなかったはずだが」
「変わり者…ですか…。…それより馬で行っても大丈夫ですか?霧結構深いですよ」
 周囲を見渡し、キルフェが呟く。
「問題はない。道を間違えなければな…」
 念の為に聞いてみると、
「以前聞いたときは、笑って何も言わなかった」
 それを聞き、二人は顔を引きつらせていた。フェルディールはそんな二人を落ち着かせ、ゆっくりと馬を進めていった。
 一定の速さで蹄の大地を蹴る音が響く。時を刻む振り子のような速さだ。途中、川を渡る以外は何の障害もなかった。霧が深いことを除いてだが。
 やがて、霧が若干薄れ始め木造建ての丈夫な小屋が目に入った。
「…あれ、ですか」
 フェルディールは頷くが、表情は硬い。
 霧に多少隠れはしているが、小屋の全貌が見えると同時に、灰色の男が小屋の入口に立っていた。
「!」
 男は小屋の壁を背もたれにして、瞳だけ来訪者に向ける。その様子は三人を待っていたかのようだ。男は左方に指を向ける。その先には馬小屋らしきものがあった。
 馬はそこに、ということらしい。
 フェルディールは警戒しながらそれに従う。目をやるとそこに男はいなかった。代わりに小屋の扉が開き、中から声がした。一人の男性らしき声だが、アクセントが少しおかしい。
 フェルディールは二人に目をやり、頷き合う。
「全く、面倒ナ奴が来たジャないか。こういう時にコソ護衛の役目を発揮シテほしいもんだね」
 入ると、サングラスをかけ、アクセントの外れた男が呆れ口調で語っていた。マスターである。見れば灰色の男は興味がないないのか目を閉じ、先程会った時の姿勢で受け流していた。
 小屋の中は、半分がカウンターで仕切られ、マスターはその向こう側に立っている。右側には透明な瓶にぎっしりと詰まった茶色の豆が棚二つを占領している。リリスはそこから微かな魔力を感じ、豆の為に魔法を使うという念の入りように呆れた。入口から向かって左には二階へ続く階段がある。灰色の男はその階段を背もたれにしている。
「で、何のヨウだい?」
 突然の来訪者に、マスターは顔を向ける。やれやれと、今にも溜息を吐きだしそうだ。すると、リリスがマスターと対峙するように前に出た。
「アキアスはどこですか?」
 ひとつの変化も見逃さないというように、リリスはマスターを睨む。
「上にイルね」
 マスターは何でもないことのように答えた。それを疑ってしまうほどに。
 リリスは逆に遊ばれているように感じたのか、眉をひそめ一層マスターを睨みつけた。
「別にカラカっちゃいないさ。アタシはアキアスを庇うツモリはナイからね」
「じゅあ、どうして…」
 キルフェの言葉をマスターは遮って続けた。
「ここにイサセているのは監視のタメさ。目にツクところにいてもらったほうが、後々楽ナンだよ」
 言いようのない感情がリリスを支配した。どうしてこうも無責任な言葉が吐けるのか。手を強く握ってはいるが、それほど長く堪えられないと思った。
「無駄ダな」
 マスターは溜息を吐きだした。鬱陶しさを微塵も隠そうとしない。
「…お前ラ、アキアスに会いにキタんだろ。会ってどうスルんだい?」
「そんなの…!」
 マスターの口調はあくまで素っ気なかった。
「止めるカ?どうやって」
「……」
「それ以前に、お前ラはアキアスの言葉を信じられるノカ?」
 マスターがさらに続けようと口を開いたときだった。




「うるさいわ!」




 リリスの澄んだ声が部屋に響いた。声が大音量というわけでもなかった。その声に、マスターは口を半ば開け、灰色の男やフェルディール、果てはキルフェまで驚いているようだった。
 闇のなかの一筋の光のように、リリスはただ思っただけだ。アキアスに会うこと、会って話すこと。彼女は、マスターと話をしにきたのではなかった。
 沈黙の中をリリスは睨みつけ、マスターはそれを無感情に受け止めた。再び溜息が洩れた。マスターはなんでもなかったように豆の入った瓶に手を伸ばした。コヒィを入れる準備を丁寧にし始めた。
「だから、子守はいやナンだヨ」
 訝しくマスターを見つめ、リリスは音を聞いた。靴が階段を踏みつける、音を。徐々に音が大きくなり、それを発している主が誰かわかると、もう音は気にならなくなった。耳にすら入らなかった。
「……アキアス!」
 階段から降りてきたアキアスはやはりあの日のままだった。誰も寄せ付けない、冷たい相貌。ちらりと三人を見たが、それだけだった。