暁光に昇る 2

 体中から鈍い痛みを感じ、心地よい眠りから無理やり目を開けた。どこだろう。ここは。天井が変に高く、無駄に意匠が凝らされている。被っている布団もなんだか柔らかく高級そうな肌ざわりだ。声がして、そちらに顔を向けた。二人の男性の声。どこかで聞いたことのある声だ。だれだっただろう。こちらには背を向けているので顔は見えない。それでも、彼の傍には見知った顔がある。赤紫の髪をした少女と群青の髪をした少年。名前を呼んだ。でも声が出なかった。掠れた変な声になって、逆にそれが功を奏したようだった。二人は気づいてくれた。
「…大丈夫?アキアス」
 らしからぬ口調に、あたしは驚く。リリスはこんなに弱弱しかっただろうか。答える代りに笑うと、ほっとしたような和らいだ表情を返してくれた。
 上半身を起して先ほど声が聞こえた方に顔を向けると、そこにいたのはアキアスのクラス担当のリーマス・ブレイン先生だった。
「目が覚めましたか。…顔色も大分よくなりましたね」
「あの、ここは」
「城内の治療室ですよ。マディカ・フォースの魔法が直ではないにしろ、かなり影響していましたから。ここで回復するまでと、王子のご厚意で寝かせていたのですよ」
 説明を受けて、アキアスはやっと状況を理解した。
「お、しろ…」
 言葉に出しても、実感が湧かない。困惑がリーマスにも伝わったのか、優しく微笑む。
「…三日も起きないで…、心配したのよ」
 今にも泣きそうな顔で、リリスが責めるように声を強めて言った。
「三日!?」
 驚いて声に出すと、いきなりリリスに抱きつかれた。かなり心配させてしまったらしい。キルフェが後ろで苦笑していた。
「…すまないな。面倒なことに巻き込ませてしまって」
 リリスの突然の行動に困惑していると、横から先生とは別の声がした。フェルディール王子だ。彼の声も何所か沈んでいて、それなのに落ち着いていた。それと、王子の存在を意識すると、周囲の感じが落ち着かない。なんだろう。
 顔をあげて、王子の方を見る。返答をしようとアキアスは口を開いた。が、できなかった。
 本人は普通に笑っているのに、周りが気まずいからか。それとも、王子自身から感じる焦燥と諦めからか。アキアスにはわからないが、それを見たら、誰もが目を逸らすだろう。王子を知っているものなら。実際、リーマス先生やキルフェ、その従者らしき人は目をそらしていた。
 アキアスは目を逸らせなかった。それどころか、凝視してしまった。

 ――王子の瞳が、青から赤に変わっていたのだ。






 気にしないでいい。自分はそれですら見えないから。逆に周りの反応の方に驚いている。
 フェルディールはそう言った。
(落ち込んでいる、というか悲しそうに見えたんだけどな)
 様子が変だった。もちろん、瞳の色が変われば動揺するだろうが、あれほど変わるだろうか。王族の「あお」にはそれほどの意味があるということかもしれない。あるいは、色の与える印象は本人の雰囲気を変えるほどの影響があるのか。
 アキアスはとりあえずそう結論づけた。
 あれから医師の診察を受けて、何の問題もないと言われたが、念の為とあと一晩アキアスは城に留まる事になった。
(結局、何がしたかったんだろう。瞳の色を変えて、マディカの得になることなんてあるんだろうか)
 碧眼は歴史的に見ても国にとって重要視されていたが、いまではほとんど象徴といっていい。眼色変化で国の反感は買うだろうが、マディカ・フォースの最大の目的に何の意味が?国家転覆の先駆けとでも言うのだろうか。それなら国王を狙ってもいい。
(…時間がない)
 唐突に姉の声が響いた。
 あたしは意識を底に沈め、姉に向き合う。頭の中で声を響かせて話し合うことも可能だったが、今は直接会って話したかったのだ。今頃現実では、半分寝ているあたしがいるだろう。
 目の前に、思った通りに機嫌の悪そうな姉の顔があった。
 あたしはやや心が沈みかけながら、頷く。
 マディカ・フォースが動き出したのだ。ここ10年は何の音沙汰もなかった彼女が。
 当然、国側はマディカに対する策を練っているだろうが、それがどこまで彼女に有効に効くかは不明だ。それ以前にそれがどこまで自分達に影響を及ぼすだろうか。
 先代のマディカが死んで10年が経ったらしい。それから今までマディカは現れなかった。つまり、今回の件で国に新しいマディカ・フォースの存在が知れたことになる。国は徹底的に彼女の周辺を調査するはずだ。
 たとえ誰も知らないとはいえ、数年間自分達が彼女をいたことが漏れるとも限らない。
(もう、ばれていると考えた方がいいかもしれない…)
(…!)
(彼女が国に何も言ってないとは限らない)
 冷静な姉とは対照的に、妹は焦った。
(で、でも、そうだったらここにあたしたちを置いとくかな)
(見張っている可能性があるかもね)
 姉は淡々とした口調で言った。
(そんな悠長に言わないでよぉ)
(そう考えていた方がもしものときにはいいでしょう。とにかく、行動は慎重に)
(うん…)
 納得しかねる顔をしていると、姉がせっついた。
(ほら、誰かが呼んでる。戻って)
(…えっ。うわぁ!)
 慌てて意識を浮上させると、眼前に心配そうに見つめる女性と目が合った。寝ていた間に世話をしてくれた看護師だ。
「大丈夫ですか?何度も声をかけても返事がありませんし。まだどこか優れないのでは?」
 アキアスは手を振り、彼女の言葉をやんわり否定した。内心かなりうろたえていたが。
 あまり納得していない様子ではあったが、彼女は自分の仕事に戻る。
 昼食でも夕食の時間帯でもないが、食事が運ばれる。
 アキアスが目を覚ましたのは昼が過ぎて大分経った後で、なおかつその後もリーマス先生や王子がいて食事どころではなかったのだ。意識すると急にお腹が減ってきた。鳴るのを必至に抑える。が、無理だった。
 横からくすくすという声。
 ……は、恥ずかしいッ!
 なんでもないフリをしながら、そっと食事の内容をみる。野菜の入ったリゾットにスープとパン。病人だからか、重いものがない。
 多くあったわけではないが、それでもすべてを残さず食べると満足した。学内で食べるものよりもおいしい。さすがは城だ。
「ですが、無事でよかったですね」
 先程の女性が食器を片づけお茶を出しながら言った。
「マディカ・フォースに会うことですら滅多にないことなのに、攻撃されてしまうなんて」
 マディカ・フォースは何者も認めない。この国に属する者すべてを許さない。いままで『彼ら』が葬ってきた人の数は数えきれない。出会った者すべてに死を。それがマディカに対する国民の認識だった。
 でも、『彼女』は『あたし』を殺さない。『彼女』はあたしを利用しているから。
 彼女の目的をアキアスは知らない。ただ、アキアスも彼女を利用するだけ。それだけの関係だ。
 彼女の名前を発言することさえ恐ろしいという様子だった彼女は安心でもしたように表情を和らげた。アキアスは首をかしげた。それは問わなくても彼女は答えた。
「あとは次代のマディカが現れないことを祈るだけですね」
 その言葉が何を意味するのか。アキアスにはわからなかった。
 次代のマディカ?現れないことだけを?
 中で姉が動揺しているのがわかった。姉は知っている。その意味を。
 いや、妹も知っている。わかっている。本当は。
 アキアスは聞き返した。意味がないとわかっていても。
「どういう、ことですか……?」
 彼女は少し驚いて、納得した感じだった。
「三日も寝ていたのですから、知らないのも無理はないですね」
 安心しきった顔は少し喜びがあった。


「……アキアスさんが先日会ったマディカ・フォースは亡くなりました」




 アキアスは目を見開いた。