黄昏に沈む 6

 変わり果てた姿。奇妙に笑った顔。
 なにがどうなっている…?








「生きてるわ」


 フェルディールの耳に凛とした音が響く。
「私がされたことを、同じことを他人にするとでも思った?」
 それも一瞬で、次に吐かれた言葉は先刻同様何の感情も含まれていなかった。そうしてまたマディカ・フォースは笑う。その声とその笑みが、フェルディールの癇に障った。抑えようのない怒りがこみ上げ、記憶の片隅に追いやっていたものが思考を支配する。
「関係のない人間を巻き込むなッ!…こんな、こんなことを」
「関係ない?」
 氷が割れた時に響く音のように、その声は高く澄み透り、また聞く者を突き刺す。同時に光が差し込むような表情は消え、逆に凍えさせるように彼女の顔は冷たい。
 予想外の彼女の反応にフェルディールは、足を一歩後退させた。風がざわめき水面が揺れる。
「えぇ、そうね。関係ないわ。あるどころか全くないわ。…でも、関係のない人間を殺し続けてきたのはだれかしら?あなた達、国ではなくて?」国のためだといって人を殺す。最大多数の幸せのためだといって、少数の人間の幸せを奪い、犠牲にする。幾度となく行われてきたのは事実で、真実だ。
 フェルディールは後退る。逃れられない災から少しでも遠くへ離れるたい、と。マディカは一歩も進み出てはいないのにその差が開いているとはいえないほどに、それは無駄な行為だった。彼女は続けた。畳みかけるように、押しつけるように言葉を放つ。怒りで上気しているはずの顔は、いまだ白い。
「先ほど、その子供が言ったわね。リーシュテッドの乱で両親を亡くした、と。本当に、その反乱で死んだのかしら?国のために?」
 思いもかけない言葉に、体が勝手に反応した。彼女を睨む。
「何が言いたい…ッ!」
 不本意に亡くなった者達の、国のために犠牲になった者達の行為を否定するのか。そんなことは…
「どこまでいってもあなたは王子なのね…」
 心の内を見たかのように彼女は溜息を吐く。そうして、時間がないわと呟く。
 次に彼女が向けた瞳は、どうしようもない、困った子供を見るかのようだった。


 まるで、失ったものを一目見て消えていく星のように。
 まるで、懐かしい人にあったかのように。



 ―――その瞳は、揺れていた。



 血がのぼった頭が一気に冷える。一体何が本当なのか。何を信じればいいのか。それすらも決められない。彼女は手をかざす。手のひらをフェルディールへ。
 彼女の周囲が煌々と紅く光を放てられ、同時にフェルディールを碧い光が包む。始めは円形が描かれ、次は文字だった。碧い碧い魔方陣にそれの端から発せられる光が、彼の足もとから立ち上る。一秒ごとに文字が浮かび描かれていく陣、そうして確実に己の手と足が何かに捕われるという感覚が全身を伝う。彼は今の状況に驚きながらも頭の中は冷えていた。
 生か死か。彼女は、マディカ・フォースは、ユニオンに破滅をもたらす存在。彼女はこの国を憎んでいる。ならば、その国の王子である俺も憎んでいるに等しいだろう。彼女の大切なものを奪った国。それは多くの人々のために犠牲を払う。それは誰にでも起こりうることで、それが彼女だった。多数の為の犠牲。なら、犠牲になった者はどうすればいい?
 俺は、わからないままだ。


 陣の中心に、最後の言葉が刻まれ、
「――Andel」


 言葉は現実へ移し出され、現実は変化する。碧い陣は紅いそれへ、光は人を包み込み、しだいに弱体化していく。そうして、体は痛みだした。体の端から中心へ削り取るような痛み、その後を風が吹く度、動く度凍るように冷える感触が続く。


「……な、にを……ッ!」


 抑えようとしても止まらない苦痛に、フェルディールは唸る。既に立つことすらままならない。


 手先から掌。足の裏から足首。太腿から腰へ、背中、胸とその痛みは行き渡る。そうして――首、頭。


 最後に瞳を痛みが貫いた。フェルディールを包む光は完全に消失し、ただ瞳から紅い光が漏れるだけとなった。その僅かな光はフェルディールの手によって遮られ、その体は一気に傾く。それを支えたのは、アキアスだった。


「やっとお目覚め?アキアス」


 妹越しに聞いた声と大分異なり、余裕のある、狂ったような声だ。くすくすと笑う声が同時に響く。分かっていることを平気で知らん顔をする、そんな声だ。吐き気がする。
 抱えた王子の身体をゆっくりと地面に下ろし、一歩前へ出る。私は妹を傷つけた敵へ目を向けた。彼女は平然とそれを受け止めている。立っている場所もここにきたときと変わらないままだった。
 数秒の交錯は、何時間にも思われた。
 それを破ったのはマディカだった。静かに魔法の詠唱を紡ぎだす。
 アキアスは背後からの人声と慌ただしい気配で察した。恐らく、王子の従者か誰かが探しに来たのだろう。まずいかもしれない。この状況は。彼女は彼らを排除するつもりかもしれない。あるいは―――
「さよなら。アキアス。もう会う事もないでしょうね。仇を取られなくて残念でしょうけど、勘弁してね」
 咄嗟に見た彼女は、本当に残念がる様にほほ笑んだ。
 どこまでが本当なのか。それがどこまでもわからない。それが実に不愉快で腹が立つ。
「さよなら。わたくしのかわいい子。さようなら。さようなら」
 すべてを聞くまいと、私は意識を遮断した。まだ眠る妹の意識を表へあげて。



 白濁とする意識の中で、それでも声が聞こえた。
 マディカの終わりの詠唱と、王子を呼ぶ切羽詰った声が。



「――Trugbild」