黄昏に沈む 4

  ――蒼い瞳は王族の証。
 王都ミーシスでそれは根強い。とはいえ、「あお」い目をした人はいる。多くいる。居過ぎるぐらいだ。海のように深い蒼、泉のように透けた青、星のように輝く青、森の深さを持った藍。それらに違いは多々あるが、「あお」であることは変わらない。
 王族の持つ「あお」は特殊ではない。むしろ代を重ねるごとに変化が伴うようになった。色の濃さは薄れ、「あお」ですらない者もいる。現国王でさえ光の具合であおでなくなるときもある。今でこそあおの必要性は薄れているものの、昔はわかりやすいものだった。
 「あお」は玉座に着くことの暗黙の条件とされ、それ故に「あお」の瞳は残酷なものを生み出した。それはこの国、否、ユニオンがまだ一つの国家に過ぎなかった頃、王族以外の「あお」の瞳をした人間が殺害されることは、少なくない例だ。
 王族の尊厳、神性を高めるために、殺された数知れずの被害者と悲劇は、文献に残されていない。少なくとも表だって語る者はいない。それは巧妙に隠されながらも、国民ならば誰もが知る史実だ。




 ――蒼い瞳は王族の証。

 幼少の頃から言われ続けたその文句は、臣下の思惑通り、ユニオン第二王子の俺に影響を与えた。ふとした瞬間にその言葉は浮かび、無意識に縛る。特に小さい頃はそれが悪魔の響きのように聞こえたものだ。瞳は隠しようがない。城下町に行けばすぐばれた。周りから常に監視されているようだった。世界規模でいえば青い瞳はそれほど珍しくない。この国で、この王都では圧倒的に少数なのだ。
 まぁ、それも20の後半にもなれば慣れるものだ。一時期は非情に思えた「あお」は、今ではどうでもいいものになりつつあった。そうでなければ城から抜け出して密かに街へと繰り出そうなんて考えない。世界統一された現在では、王都には多くのあおがいる。もう珍しいものではなかった。


 人気がない、道のない森の中を歩く。都では溢れるように人々が出回り、騒ぎ、喚き、笑い合っているのに、その微塵も感じられなかった。このままずっと森の探索もいいかもしれないな。いまの時分にはハスティレナの花が見頃だろう。白く透き通った花弁に、根本に薄っすらと色づいた薄桃色。花にしては分厚い花弁はその身を守るためだが、それもまた美しいものだ。
 ハスティレナの咲く沼へ続く道へ出ると、耳に人声が入ってきた。まだ若い、少女と少年の声だ。言い争っているというより、少年がひとり孤立しているというような状況だった。
 もう気づいていてもいいぐらいの距離だが、見えたのは人の背中だ。
 三人だった。
 一番手前の少女は薄紫の短髪をしている。紙袋を手に、左斜めの少女となにやら思案げだ。相手の少女はまっすぐな赤髪、声からして強気な雰囲気だ。先ほどからずっと反論していた右斜めの少年は、二人には敵わないのか、諦めた気味だ。群青の髪が頼りなさげに垂れている。
 そこまでたっぷり観察してから足音に三人は気付いたのか、同時にばっと振り向いてきた。

「どちら様?」

 拍子ぬけした。問いかけてきたのは紫髪の少女だ。青い瞳をしているから誰でも自分の正体はわかるというのは自惚れだったのか。だが、初対面で名乗らないのも変な話だな。今まで、会う相手を俺は知らないのに、相手は俺を知っていることばかりで、自分で自己紹介をしたことがなかった。あるとすれば―――

「な、なななにを言ってるの!?アキアス!!」
「会って早々失礼なこと言うなー!!」
「へ?は?」
「フェルディール・ユニス様!王子の顔と名前ぐらい知ってるでしょ!!」
「そんなの初代から第二十代の国王の次点で諦めたよ」
「そんな古い時代からじゃなくて現王族からだろ!!」
 二十代まで覚えたのか、この少女は…。現国王は第七十二代目の国王だ。その全ての子を加算すれば、その数は人の記憶可能範囲を優に超えるはずだ。
 三人の会話は尚をも続いていた。俺の存在はどうやら忘れ去られているらしい。会話に加わられない状態は久方ぶりだ。たいていは俺が話者になるか、聞き手になったとしても話者から俺の存在が消えることはない。王子という地位所以に。
 どうやって止めようか悩んでいると、自然と会話がこちらに来た。
 なぜここにいるのか。生誕祭の、この日に。
「それは俺の言葉でもあるのだが。学生だろう?」
 学生ならば、森というよりも学内でパーティか、城下で屋台巡り等が常だ。
 リリスと名乗った赤紫の髪に黒い丸い瞳をした少女がおもしろそうに答えた。
「それはじっくりとクオッタを食べながら語らせて頂きます」
 まじかよ…、と呟く群青色の髪に茶色の瞳をした少年、キルフェが諦めをにじませ肩を落とした。彼女には敵わないとの判断だろう。反論することさえしないらしい。
 冷めたクオッタはさすがに美味とは言えないものの、不味いには程遠く間食には丁度好いものだった。沼の前で横に並んで座る。優雅もなにもないところだが、外でこうして食べるのも久方ぶりだ。風の心地よさ、日差しの暖かさが自然と顔を緩ませた。が。話が進むにつれ、キルフェの口数は減っていく。無理もない。リリスはなじるように語るが、紫の髪と紺の瞳をしたアキアスはさすがに苦笑いだ。
「自業自得です。寝坊した人間が悪いんです」
 リリスの怒りはまだ治まっていないらしい。
「だが、よく眠れたな。あの状況下で」
 頬を掻いて、キルフェは顔を上げた。
「毎年こうなんです。身が入らないというか…」
 日差しのためなのか、眼を細めるキルフェはどこか儚い。何かを想いながら、それでもそれ自体が分かっていないようだ。

「オレ、両親二人ともいないんです」

 リリスとアキアスも知らなかった様子で、瞠目していた。親が、いない…?それとこれ、一体どんな関わりがあるのか。踏み込んで良い話ではない。だのにキルフェは語る。大した問題でもないように、乾いた口調だ。先刻のような儚さは皆無だった。

「東方で起きたリーシュテッドの乱、知っていますか?」

 リーシュテッド。聞いた途端、苦い思いが広がる。
 答えた言葉は予想外に掠れて低かった。
 いまから15年に起きた大規模な反乱で、両者を足せば、数万の犠牲を払ったという。鎮圧されるまで長期間に渡った。
「父は騎士で、鎮圧の為に赴いていたそうです。母はリーシュテッド付近の、そこでも国よりの人間で、反乱には加担していなかったそうです」
 あの地域も複雑で、様々な民族が互いに干渉し合い生活していた。
「オレが生まれたのは、まだそれほど衝突していない時期でした。オレはひどくなる前に王都に連れてこられたと聞きました。そのまま、会う事はありませんでした。オレは一歳にも満たなくて、顔すら覚えていません。生誕祭の日に、両親ともに死にました」
 祭日に周囲は笑いと歓喜に包まれているのに、自分は楽しめない。心から。どうすればいいのか、わからない。悼むべきなのか、喜ぶべきなのか。
 かける言葉もない。それもこれも、国が怠ったため。
「学院に入るまで、オレは祖父母を親と思っていました。だから、わからないんです。なにも、湧いてこない。知らないのに、両親で。正直、祖父母が実の親でなかったという方が悲しかった。だからなのか、いつもどおりというわけにもいかなくて」
 誰かに話すわけにもいかない気がして。
 発せられた言葉が尚も空に溶けていく。溶けた先はどうなるだろう。知っている。どうでもよくなるのだ。なにもかも。
「わからない、ではないだろう?そう思いこもうとしているだけだ。どうでもいいなら、いまここで、話してはいないはずだ。誰かに話していい。いないわけではないだろう…?」
 その先はリリスが続けてくれた。
「キルフェごとき、支えることぐらいなんてことないわ」
 ごとき、をあえて強調するあたり、リリスの性格がよく知れた。どうやらその言葉がキルフェの逆鱗にふれたらしい。一瞬ポカンとして、意味を租借し、声を張り上げた。
「おまえ…そんな言葉しかでてこないのかぁーー!!」
「あら?やっぱり単純で、キルフェごときじゃない」
「なにさまのつもりだー!!」
 …あとは想像にまかせよう。
 俺はアキアスに目を向けた。
 キルフェの話を驚嘆と哀悼でもって、複雑に彼女は静かに聞いていたことが気にかかった。
「どうした?アキアス」
 少女の様子がおかしい。周囲に目をやり落ち着かない。
 気がつけば、音が一切していなかった。リリスとキルフェもそれに気づいたようだ。
 風で葉が擦れる音も動物の気配もしない。すべてが無だった。夢のなかの実感のない体験のような、掴めない空気。すぐに記憶から消えてしまう夢そのもののような。
 眼が自然と沼のほうへ向かう。
 透明で微かな水色をした沼を灰色の影が漂っていた。水面に咲くハスティレナを除けながら、ゆったりとした動作でその影はこちらに近寄ってくる。影はその姿がはっきりとここから認識される距離にまで近づいてきた。
 長く伸びたウォーターブルーの髪は四肢を包み込むように広がり、鈍い灰色のローブに似た長いワンピースは、さながらこの沼の精そのものだった。



「こんにちは。蒼の瞳の王子さま」



 声の主は、暖かく微笑んだ。
 声にも姿にも、眼が離せなかった。