黄昏に沈む 3

 世界に国は一つだ。その国の統治者であり最高権力者である国王が住まう都市ミーシスは四方を山に囲まれ、南には広大な森と、北と西から川が流れている。都市形状は銀杏型で、北方に荘厳な居城を構え、それを起点に下方へ広がる城下街はまた政治、商業、教育等にいくつかのメインストリートで分かり易く区分されている。
 そのメインストリートの一つ。王が住まい、政治の中心である輝く城から南へ貫き、そのまま南方にある港へ道が続いている。都市内のストリート面積の半分を市場で埋められ常に活気がある。祝日でかつ生誕祭ならなおさら人に溢れたストリートは非常に近寄りたくないものだ。

 ここはまだましな方だけど。アキアスは一人呟いた。

 城の前にある広場やそこにほどなく近くにある最も栄えた第一市場は動けないほど人で込み合っている。大道芸師や歌姫による国歌が歌われ、語り部は生誕の経緯を独特の、口調と音律で披露するなど様々な物事がひきしめあっていた。
 アキアスがいたのは程よく人がいてほどよく込み合っていない住居区近くの市場だった。この場所で待ち合わせを提案し、あたしと共に来たリリス・レイリスは現在いない。小一時間待っても来なかったキルフェ・カルヴァンを迎えに行ったのだ。
 リリスは赤紫のストレートな髪を肩まで流し、丸く黒い瞳は強い意志が宿っているようだ。それを表わすように待ちくたびれた彼女は止める暇もなく猛ダッシュで学院の方へ駆けていったのだ。彼女はあたしと同じ魔学部で、キルフェは将来的に騎士を志望する学部で、基本的にあたし達と異なるカリキュラムだ。義務学問以外はほとんど違う講義でもしかしたら今日は休みでなかった、あるいは急な鍛錬でも入ったのかもしれない。ぼんやりと考え込んでいるとふいに、

「ゴメン!!」

 背後から聞き知った声がした。振り向くと息を切らした学生の身なりをした少年がいた。いた、というよりもうほとんど倒れかけていたけど。
 ゼェはぁ「…ちょ……や、こと…」げほげほ「…か、…だいが…」ぜぇぜぇ
 顔は真赤で、全身の到る所から汗を流し続けるのは待ち合わせをしていった友人で、遅れていたキルフェだった。彼に落ち着くまで黙っておくように言い、すっかり話ができるようになる頃に、周囲に怒りオーラを放出しているリリスが戻ってきた。




「ばっかじゃないの」
 キルフェの説明もとい言い訳を一通り聞いてそんな言葉を放った。一時間以上の遅刻してきた友人に彼女の誠実さは与えられなかったらしい。加えて一年で最大の祭である今日にへまをして課題を与えられたともなれば、救いようがなかった。遅刻者兼課題有者の友人―キルフェ・カルヴァンは先刻からリリスに負けじと反抗していたが、年齢にそぐわない程の魔力を保持しているリリスは同時に頭の回転も早く、口で勝てた者はクラス担当教員であるリーマス・ブレイン先生だ。つまり国語の教師で、学院一の補助魔法使用者で、つまり、同年代で敵う者はほとんどいないということだ。既にキルフェはぐうの言葉も出ないようだ。


 通常よりも早い時間帯にあった今日の講義に、熟睡していて遅れ教員の怒りをかなり買ったらしい。それ以前にあの状況で寝るまでも熟睡できるとは、ある意味最強だ。
 出された課題は剣学部とはまったく関わりのない薬草調査。北東のフィレスト森林に生息する五種類の薬草を採集しそれぞれの効果を調べてこい、だそうだ。期限は今日の日没まで。遅刻をしたのは薬草を調べていたからで後は採集だけらしい。


「あんたの脳みそはどこまでお気楽なワケ?薬草?知らないわよ。勝手に一人で行きなさいよ」
 リリスは腕組し、断固援助の拒否をした。
「リリスー。手伝ってあげようよ。ほら、一時間で五つの薬草調べただけでもすごいじゃん?」
 実際上出来というほどだ。薬草といえば軽く一万を超える種類がある。名称も似たり寄ったりなものばかりで素人はまず調べ間違える。魔学部はその調査能力が必須で日頃相手にしているあたし達でもまだ慣れていないのだ。
「他人が手伝ったら課題じゃないわよ」
「うっ。……ついていくだけならさ?ね?それにあの薬草なら一時間もあれば見つけられるしさ」たぶんだけど。
「……」
 ちらりと横目でキルフェを見る。
 数瞬沈黙が下りた。周囲の笑い声、歌声、話し声が一際耳に響く。暫く立って溜息を吐くのが見えた。
「高くつくわよ」


 その言葉でキルフェは(昼食と夕飯)×二人分を奢らせる羽目になった。祭には多くの美味しいメニューが出されているのだ。その分値段も上がるのだけれど。
 キルフェは明らかに反対げだけれど、リリスには逆らえないので口にはしないようだ。ごめん。これでも奢られるのが楽しみです。
「さっさと行きましょ。…その前に保管の為の瓶を買わないと」
「…?」キルフェは咄嗟に意味が分らないとでも言うようだ。
「課題に出された五つの薬草はどれも根が大地についてないとすぐに効果が消えてしまうものよ。見たところ持ってなさそうだし。これも一応調査内容に含まれるんじゃないの?」
 暗に調査不足と言っているのだ。本人はスタスタと歩きだす。キルフェは大きく溜息を吐きだした。ついでに肩も落としている。ちょっとかわいそうかも…。
 あたしはキルフェの肩を叩いて行くように促す。リリスの姿はもう見えなかった。




 瓶の購入後、丁度いい昼時で、さっそく屋台でお昼を奢ってもらった。正方形の形をした薄いパンの上に鶏肉を卵で閉じ込め、辛いソースがかけてあるものだ。通称「クオッタ」と呼ばれている。
「そういえば朝食べてなかったよ、オレ」
 半分ほどあたしが口にしてから、キルフェが今頃落ち着いたかのように言った。たぶん起きてすぐ遅刻に気付いて食べることもなく講義に行き、教員の叱責を受けて講義中はずっと心休まる時がなかったのだろう。そのあとも課題の調べ物で急いで、途中で待ち合わせを思い出してあとは知っている通りで。一度あたしも講義に遅れたことがある。その時の教員の怒りようと自分の焦りは今でも忘れられない…。あたしがくるまで講義は進んでなかったようで入った途端、自分の失敗をものすごく後悔した。あの空気の重みはもう二度と味わいたくない。当然大量の課題も出された。学院の教師はほとんど厳しいのだ。
「屋台の食べ物お持ち帰りして、森の広い場所で食べようか?探してる間もお腹すくだろうし」
「それいーな。丁度指定された薬草が群生している場所に奇麗な沼があったはずだし」
アキアスとキルフェが二人で盛り上がり7個セットのクオッタを購入した。リリスはひとり怪訝な顔をした。
「妙に詳しいわね。確かにあの薬草はどれも奇麗な沼の周囲に生息するけど」
 受け取ったクオッタは出来たてのほやほやで、後で食べるのはちょっと惜しいかも。そのまま足を東に向ける。北東にある森フィレストは北のメインストリートを突っ切ってもいいけれど、今日はなにしろ人が多い。遠回りをしたほうが逆に早く着く。
「オレの実力はこんなもんだ」
 腰に手をやる仕草がなんともわざとらしい。
「騎士を目指す人間が薬草調査に長けててもねぇ」
 リリスの返答は手厳しかった。笑う仕草も似合っている。明らかに嘲笑だが。将来の騎士団が不安だわ、と呟く。
「お前は正に魔女ってかんじだなッ!」
「あら?このご時世に魔女だなんて…。間抜けな上に単純なのね。アキアスもそう思わない?」
「て、めぇ!…」
 二人は森に着き薬草を全て集めるまで終始こんな感じだった。しゃべっりぱなしで息が切れぎれだったのは言うまでもなく、あたしは隣でくすくすと笑っていた。
「意外に早く終わったな」
 最後の薬草を瓶に土ごといれ蓋を閉めながらキルフェが言った。
 森に入って一時間弱。薬草の採集は順調に進み、終了を迎えた。
「ひとりじゃ何もできなかったくせにねぇ」
「どーもありがとーございましたー」
 激しく棒読みだった。
「こんな馬鹿ほっといてさっさと食べましょ。アキアス」
 目の前に広がる沼は泉のように澄み、蒼い花が咲いている。
「そうだねー」
「アキアスっ!ついにお前まで!」
「魔法でこれ温められるかしら?」
 水面にハスティレナの草が浮かぶ。
「ちょっと無理があると思うよ?」
「やっぱり?」
「完全無視かよ」
「クオッタは冷めてもおいしいよ。きっと」
「まぁ、いざとなったら買いに行けばいいことだしね」
「誰が行くんだよ…(もしかしてオレか!?オレってこんなキャラだったか?)」
 今日はとことんついてない、と彼が落胆したとき、カサリと下草が音を立てた。


 三人が振り向いた先には、蒼の瞳に淡い金色の髪をした一人の男が立っていた。